ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「大浜遺跡」と「中島遺跡」

 現在私は五島列島福江島の「大浜地区」に住んでいます。「大浜地区」は福江島の中心である福江市内から車で15分ほど離れています。名前に浜が付いている通り海に面した地区です。住民は漁業に従事する方だけでなく農業も盛んです。

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大浜地区から見た対岸の富江

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透き通るような海

 

大浜地区には「大浜遺跡」と「中島遺跡」があります。私が住んでいる建物から100メートルほど離れたところに大浜遺跡と中島遺跡の案内板があります。先日、散歩の途中にこの案内板を詳しく読んでみました。私は「大浜遺跡」と「中島遺跡」に囲まれている場所に住んでいることがわかりました。

 

 

大浜遺跡の案内板には、『昭和37年に九州大学同志社大学との「大浜遺跡合同発掘調査」が実施された。調査の結果、出土した土器により弥生中期〜後期(およそ二千年から千八百年前)にかけての遺跡であることが判明した。大浜遺跡で興味を引くのは発掘された12体の人骨とその副葬品である。埋葬されていた大浜弥生人はアワビの加工品や石製品等を副葬しており、このうち数体からは牛の歯が一緒に出土した。

当時、日本列島には牛馬がいなかったことが中国の史書魏志倭人伝」に記されている。日本列島に本格的に牛馬が移入され始めるのは5世紀以降のことであるから、この大浜遺跡から本土より先に牛の歯が出土したということは、大浜遺跡の大陸や朝鮮半島との交流の深さを物語るものである。』と書かれています。

 

また、中島遺跡の案内板には『大浜遺跡の隣接地で時代は縄文時代後期。五島列島縄文時代の生業を考えるうえで重要な遺跡。湧水の豊富な低地に竪穴(ビット)を掘り、その中に前もって殻を割るなど加工したカシ、ドングリの実を入れて湧き水でアクを抜き澱粉を作るための施設である。2400年前の澱粉工場とみることもできよう。ビット12基が見つかったがなお多数のビット遺構が埋蔵されている 可能性が強いと報告されている。このような遺構は九州でも数少なく、五島列島では初めての発見であった』とあります。

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牛骨発掘地記念碑

 

2400年前の縄文時代の人も2000年前の弥生時代の人もこの地域に住み、現在まで多くの人が住み続け暮らしを立ててきた。私は今、縁あって同じ地域に住み生活しているのだと思うと悠久の時の流れとともに縄文時代弥生時代から連綿と受け継がれてきた生命の営みをしみじみと感じます。

 

2400年前の縄文時代から、この地域は生活するのに良い場所と思われてきたのだと考えるとこの地の幸を祝いたい気持ちになります。

私は、縄文人弥生人が生活していた同じ場所に今住んでいる。縄文時代の人々弥生時代の人々がとても身近く感じられる。五島に来て一番驚いたことである。