ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「ガリヴァー旅行記」と長崎

 

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ガリヴァー旅行記新潮文庫

長崎は不思議な街である。長崎料理は和華蘭料理(わからん料理)と呼ぶが、わからんことは料理だけではないようだ。「ガリヴァー旅行記」の中に長崎が出てくるという。

 

ガリヴァー旅行記は子供の頃、絵本や童話で見たお馴染みの本である。絵本では、ガリヴァーの乗る船が難破してガリヴァーは幸いにも陸地に打ち上げられた。しかし、気づいたらそこは小人の国で、小人の兵隊にがんじがらめに縄でしばりあげられていた。その後小人の国で活躍して、舟を作って無事に故郷に帰るというお話である。

 

しかし、この「小人国渡航記」は、「ガリヴァー旅行記」の第1編の話で物語は第4編まで続く。因みに第2編は「巨人国渡航記」で、第3編は「空飛ぶ島ラピュータなどの渡航記」でその中の第11章でJapant,Nangasac(ナンガサク)が登場する。第4編は「馬の国」への渡航記である。

ガリヴァー旅行記」第3編第11章に出てくるNangasac(ナンガサク)が長崎であると言われている。

 

なぜNangasac(ナンガサク)が長崎と思われているかというと次の記述が出てくるからである。

I answered,as I had before determined, “that I was a Dutch merchant, shipwrecked in a very remote country,whence I had travelled by sea and land to luggnagg,and then took shipping for Japan ; where I knew my countrymen often traded, and with some of these I hoped to get opportunity of returning into Europe: I therefore most humbly entreated his royal favour, to give order that I should be conducted in safery to Nangasac.” To this I added another petition, “that for the sake of my patron the king of Luggnagg, his majesty would imposed on my countrymen, of trampling upon the crucifix: because I had beenthrown into his kingdom by my misfortunes, without any intention of trading.”

そこで我輩は(むろん、前からちゃんとそのつもりでいたのだが)、実は自分は遠い遠い世界の果てで難破したオランダ商人だが、それから海山を経て、どうやらラグナグまではやって来た、それからさらに船に乗ってこの日本にやって来たのだが、つまりこの国とは、わが同胞たちがしばしば貿易していることを知っていたので、もしかすると誰か彼らと一緒にヨーロッパへ帰る機会もあろうかと思ったのだ、だから仰ぎ願わくはナンガサク(長崎)まで無事に送り届けていただきたい、と答えてやった。そして更につけ加えて、いま一つぜひお願いは、わが庇護者なるラグナグ王の名前に免じて、どうかわが同胞たちに課せられる、あの十字架踏みの儀式だけは免除していただきたい、というのは我輩は決して交易の目的で渡来したのではなく、全く災厄の結果、この国へ辿りついたものであるから、と。(中野好夫訳)

 

このガリヴァー旅行記の作家はアイルランドのジョナサン・スウイフトである。彼は1667年にダブリンで生まれ、1745年77歳で亡くなった。彼は「ガリヴァー旅行記」を1726年に完成させている。1726年は江戸時代中期に当たる

 

今から約300年前のアイルランドの作家が日本のことを、長崎のことをこのように詳しく知り得ていたことに驚く。どのようにしてこのような知識を得たのか不思議に思う。先日訪問した二十六聖人殉教地の一角に日本で亡くなった宣教師ルイス・フロイスの石碑があった。その石碑には「日本史」始め様々な記録を残したことが記されていた。そのような宣教師の情報がヨーロッパ全土に広く供用されていたのだと思う。

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ルイス・フロイス記念碑

1720年代、江戸時代の日本は鎖国時代である。日本人は世界のあらゆる情報を完全に遮断された状態に置かれていた時、他の国では日本のことをここまで知り得ていたことに驚きを感じる。知ることの大切さを痛感する。