菅原文太さんは私の大好きな俳優さんである。それ以上に、私が尊敬する俳優さんである。亡くなられてしまったが今でも彼の映画を見る。菅原文太さんを思い出しながら彼についてのあれこれを書く。
沖縄のことを考えていたら菅原文太の応援演説を思い出した。文太さんが自主的に翁長知事の県知事選挙に押しかけて応援演説をしたときのあの名演説は忘れられない。(見たい人は「菅原文太 沖縄」で検索すると動画が出てくるから見て下さい。)翁長知事も菅原文太さんもお二人とも亡くなられてとても残念に思う。残された人間がやるべきことをやらなければと思う。
文太さんはその応援演説の中で、「政治の役割は二つあります。」と言っていた。
「一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。」
「もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」
ということを強調されていた。政治に携わる人はこの言葉をしっかり心に刻んでいただきたいと思う。私達は時の政権に政治を託しているわけだが、その託している政権は文太さんが言う政治の二つの役割(安全な食べ物を食べさせること、絶対に戦争をしないこと)について真っ直ぐに全力で取り組んでいるかどうかを常に監視していかなければと思う。
演説の中で「沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も空気も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。」とも文太さんは言った。文太さんのこの言葉から国民主権がおろそかになってきている今、私達はあらためて国民主権を再認識して、国民主権をしっかりと取り戻すことが必要だと感じた。
映画評論家の町山智浩氏は『菅原文太さんは任侠映画で人気を博したと書かれることが多いが、これは間違いです。菅原文太さんは任侠否定映画で人気を博したが正解です。任侠は仁義の男という意味ですが、映画の中で、彼はほとんど唯一、仁義を通そうとする人なんですが、周りの他の全部のヤクザが仁義なんか無視して、自分の保身と金儲けと出世のことしか考えていない。その中でもう苦しんで苦しんで、きりきり舞いしていく男の辛さを演じているのが菅原文太さんの映画です。その中で「任侠なんて、嘘っぱちだよ!所詮、暴力団じゃねーか!」「人殺し、犯罪者じゃねーか!」という役を彼は演じています。彼が出演していた「仁義なき闘い」という映画は任侠礼賛映画ではなくて任侠否定映画です。』という話をされていた。
私も彼が出演する深作欣二監督の仁義なき闘いシリーズを全部観たが、作品の中で菅原文太さんはいつも使い捨ての駒みたいな役割を演じていたのを思い出す。
その昔、私がまだ若かった頃、私は映画関係者の方からニューフェイスに応募しなさいと本気か冗談かわからないが言われたことがある。私は演劇の心得は全くなく、詳しく説明を聞くと、現在、任侠映画がとても人気がありたくさん作品が作られている。あなたの怖い顔だったらその種の映画にすぐに出れるよ、みたいな話だった。要するにあなたの顔が怖いからヤクザ映画に出れるという話は決していい気分の話ではないのでお断りしたが、今考えるとあの時の判断は正しかったかどうかわからない。もし、あの機会に映画業界に入っていたら尊敬する菅原文太さんにお会いできたかもしれないと今でも悔やむこともある。
(注)現在の顔は仁王様みたいな怖い顔ではない。だいぶ柔和になった。現在では、もはやヤクザ映画には使えない。