ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

マリア像に会いに行く

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岬のマリア像

長崎港を出入りするとき、いつも岬に立つマリア像を見る。出るときはマリア像に見守られていることを思い、戻るときはマリア像を見て安堵し長崎に着いたことを実感する。そのマリア像に会いに行く

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神ノ島教会とマリア像

マリア像が立っておられる地は「神ノ島」という長崎港の玄関口に当たる町である。どうしてそこにおられるのか、いつからそこにおられるのか、疑問がわく。マリア像の台座の背面にある感謝のことばに建立の由来が書かれていた。

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台座裏面 の感謝のことば

このマリア像は聖フランシスコ・ザビエル渡来400周年記念として神ノ島教会信徒一同によって1949年に建立されたマリア像の再建像で、世界平和と航海安全を祈って建てられたものである。高さは4メートル60センチある。

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神ノ島の中腹にある神ノ島教会

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神ノ島は昔は、舟でしか渡れない長さ約1キロほどの小さな島であった。1614年に徳川幕府が発布した禁教令により厳しい弾圧を強いられることとなったキリシタンは、舟でしか渡れない不便な神ノ島に隠れ、潜伏しながらキリスト教の信仰を守ってきた。神の島には明治時代禁教の高札が撤去された後に仮聖堂が置かれた。現在の教会堂は1897年(明治30)に完成した110年の歴史を持つ教会堂で、長崎では4番目に古い煉瓦造りの聖堂である。

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神ノ島の目の前にある高鉾島

1614年に徳川幕府が発布した禁教令から3年後、高鉾島で、宣教師をかくまっていた宿主のガスパル上田彦次郎とアンドレア吉田の2人が役人に捕らえられ、1617(元和3)10月2日に斬首されるという事件が発生した。この事件は一般の領民であるキリシタンが処刑された最初の出来事であった。殉教した2人は1867年(慶応3)に"福者"となった。

 オランダ人は高鉾島を"パーペンベルグ(キリシタンの島)"と呼んだそうだ。

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マリア像と女神大橋

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マリア像の後ろには長崎港の入り口にかかる女神大橋がみえる。マリア像は長崎の出船入船の航海安全を祈り続ける。