ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

伊王島を歩く

f:id:battenjiiji:20190518001528j:plain
毎日対岸に眺める伊王島だけど、きょうは伊王島の気になるところを訪ねながらゆっくり歩いてみることにした。

気になるところは1 伊王島海水浴場、2 伊王島灯台 、3 俊寛僧都の墓碑 、4 伊王島教会の4箇所である

f:id:battenjiiji:20190518073444j:plain



f:id:battenjiiji:20190518001811j:plain

f:id:battenjiiji:20190518001843j:plain
まず1番目の伊王島海水浴場は、ここ伊王島では「コスタ・デル・ソル」と呼ばれている。これはスペイン語で「太陽の海岸」という意味らしい。夏はまぶしい太陽、輝く青い海、白いきれいな砂浜が歓声に包まれるに違いない。さすがに今日は「誰もいない海」であった

f:id:battenjiiji:20190518002036j:plain

f:id:battenjiiji:20190518002203j:plain

伊王島灯台と五島フェリー万葉

f:id:battenjiiji:20190518002350j:plain

伊王島灯台から外洋を望む

伊王島灯台は1866年(慶応2年)に米・英・仏・蘭の4カ国と結ばれた江戸条約によって全国8箇所に設置された灯台の一つである。日本で初めての鉄造六角形の洋式灯台で、1871年(明治4年)に本点灯された。また、伊王島灯台高倉健さんの最後の主演作品「あなたへ」のロケ地になった場所でもある。この伊王島灯台がある伊王鼻についてシーボルトは1823年に手記を残している。「船は伊王鼻をまわって出島に向かった。振り返ると伊王鼻にオランダ国旗がひるがえっていた。・・」

鎖国時代の伊王鼻は異国船の監視をする旗立所であった。

f:id:battenjiiji:20190518002713j:plain

俊寛僧都ゆかりの場所(俊寛広場)

f:id:battenjiiji:20190518002929j:plain

俊寛僧都の墓碑

f:id:battenjiiji:20190518003408j:plain

北原白秋の歌碑案内板


伊王島には、昔から俊寛僧都の言い伝えが多く残されている。俊寛僧都平清盛が栄華を極めていた平安末期、平家討伐を企てた罪により藤原成経、平康頼と共に流刑の裁きを受けた。のちに成経、康頼は赦免されて都に戻ることができたが、俊寛僧都は一人残されたまま憔悴の中、断食して息を引き取ったと言われている。その流刑の地が伊王島と言われており、俊寛僧都に関わるさまざまな謂われが残っている。

また、昭和10年北原白秋俊寛僧都の遺跡を訪れ、俊寛の哀史を思い歌を詠んだ。「いにしえの流され人もかくありてすえいきどおり海をにらみき」

f:id:battenjiiji:20190518003655j:plain

f:id:battenjiiji:20190518093710j:plain

伊王島というのどかな小島にヨーロッパの建築様式の立派な教会が建立されたのは、江戸時代まで伊王島の島民のほとんどが隠れキリシタンだったことに由来する。明治にカトリックに復帰した島民たちは赴任神父と手を取り合って信仰のアイデンティティとなる荘厳な教会堂の建立に邁進し、信徒のたゆまない労働奉仕と世界中からの善意の献金によって実現した教会である

f:id:battenjiiji:20190518005541j:plain

長崎港から高速船で20分。船を降りればそこはリゾートアイランドである。時がゆったりと流れるまさに癒しの空間である。

昔、橋もまだできていない時代、何もない伊王島にリゾート投資する決断を迫られた経営者が一人この地に降り立ち、お忍びで島を歩いてまわった。道で出会う島の人が皆、「こんにちは」と明るくあいさつをする。島を歩いて、この島にはもてなしの心が溢れている、リゾート地にふさわしい風土に溢れていると感じ、投資を決心したという話が伝わっている。もてなしの心、やさしい心にあふれている伊王島を私も感じた旅であった。