ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

周恩来鄧頴超記念館

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尊敬する周恩来総理の記念館が天津市にあると聞いて、2年前に訪問したことがある。記念館の名前は周恩来総理と夫人の鄧頴超の名前を取り周恩来鄧頴超(しゅおんらい・とうえいちょう)記念館とされていた。

天津市は二人が少年時代青年時代を過ごし、お互いに知り合い、理解し合い、愛し合って同じ革命の道に歩む出発点であり、二人は天津を第二の故郷としていたという。

 

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周恩来総理は、中国において人民と同士から尊敬された人物である。その誠実な人柄と自ら権力を欲しない謙虚な態度と中国革命への献身から今も民衆から深い敬愛を集めている。

私は日中国交回正常化の調印式での周恩来総理と田中総理との固い握手の写真が忘れられない。それとともに交渉の過程で述べられた周恩来総理の言葉も忘れることはできない。

「日本人民は軍国主義者の犠牲になった被害者だ」、「日中両国には、様々な違いはあるが、小異を残して大同につき、合意に達することは可能である」「わが国は賠償を求めない。日本の人民も、わが国の人民と同じく、日本の軍国主義者の犠牲者である。賠償を請求すれば、同じ被害者である日本人民に払わせることになる」と考えを述べられた。

 

日中国交正常化のため尽力していた日中覚書貿易事務所代表の岡崎嘉平太氏と初めて会った時に周恩来総理はこう言ったという。「日清戦争以来、日本は我が国を侵略し、人民を傷つけ苦しめてきました。我々にはその深い恨みがあるのです、恨みがあるといえども、中国と日本には2000年にわたる『友好の歴史』があります。戦争による不幸な歴史は、わずか数十年に過ぎないのです。我々は恨みを忘れようと努力しています。これからは中日が力を合わせて、アジアを良くしていこうではありませんか」周恩来総理の言葉に感謝し、その誠実さにまっすぐ向き合った国交をしなければと思う。

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周恩来総理がいかに清廉潔白な政治家であったかについて、今も中国の民衆の中に語りぐさになっていることがある。

周恩来夫妻には子供が無く、弟の子供達(甥や姪)を我が子のように可愛がったという。その親戚が子供のことを含めいろんな頼み事を持ってくる。その時、周恩来の妻、鄧頴超からは「周恩来は国家の総理で、人民のために働くが、周家のために働くのではない」といつも言われれたそうである。

ある時、周恩来総理の甥が、軍隊の試験を受け合格したことを周総理に報告すると、

「元のところに戻りなさい」と言われたという。

「自力で合格したのに、どうしてですか?」と聞くと、

「お前たちは、私の甥や姪である。まわりの人たちはコネを使ったと言うだろう。だから元のところに戻りなさい」

「政治家は民衆から疑われると民衆を説得できない。」そこまで徹底した政治家である周恩来総理が民衆から今も深い敬愛を受けていることを納得する。

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周恩来総理専用機

専用機ホールには「伊爾(IL)−14」678号旅客機が展示されている。この飛行機は1957年8月、当時のソ連政府が周恩来総理に贈ったもので、周総理は1957年から60年代半ばにかけてこの専用機で中国各地や外国に赴いた。

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