ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「貧困世代」を読む

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川崎無差別殺傷事件の犯人に非難が集中する中、ネット上で「死にたいなら人を巻き込まず自分だけで死ぬべき」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」などの表現が多く見受けられるようになったことに対して、藤田孝典氏が「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしいと緊急配信した。これに対して、賛否両論ネットで紛糾が続いた。

 

藤田氏の主張は、『秋葉原無差別殺傷事件などの過去の事件の犯人もそうであったように、犯人は社会に対する恨みを募らせている場合が多く、「社会は辛い自分に何もしてくれない」という一方的な感情を有していることがある。その主張がいかに理不尽で一方的な理由であれ、そう思ってしまう人々の一部が凶行に及ぶことを阻止しなければならない。そのためにも、社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など一人もいない、というメッセージを発していくべきと思う。社会全体でこれ以上、凶行がくりかえされないように、他者への言葉の発信に注意をしていただきたい』という事であった。

 

藤田氏の発言は、被害者や被害者遺族の立場からすると納得し難いと思う。しかし、社会という視点で再発阻止という観点から考えると私は藤田氏の発言に賛成である。藤田氏について、私は勉強不足で何も知らなかったが、彼の著作である「貧困世代」を読む。

 

先日、大臣をお辞めになった方がまた、「子供を最低3人くらい産むように」という発言をされていたが、藤田氏は「非正規雇用年金問題などで不安を抱える若い世代には、結婚して子供を産むという当たり前のことさえ、贅沢になってしまっている」と述べている。少子化問題を結婚・出産しない若者だけのせいにしてしまう政治家もまだ多いが、少子化問題は貧困問題とセットで考えないと解決できないと藤田氏はいう。

 

「貧困世代」という著書の中で、藤田氏は、よく語られる誤った若者論をいくつか述べている。そのいくつかを以下記す。

その1  働けばまともな生活ができるという神話(労働万能説)

「若者は働けば自立できる。働きさえすればまともな生活ができるはず。そうしないのは怠けているだけ。」という声が若者に投げかけられる。上場企業や公務員であればまともな賃金を得ることができるが、それらは限られている。働いてもまともな賃金が得られる保証がない職種も増えている。その仕事は大抵、非正規雇用で終身雇用でないため、不安定な就労形態になっている。賞与や福利厚生がない職場も多く、働いたからといって、生活が豊かにならないことが現在の労働市場で起こっている。働いても貧困が温存される「ワーキングプア問題」である。これは本人が低学歴とかコミュニケーション能力が低いとかに由来しているわけでなく、大学卒でも普通に働いて生計を維持することが困難になっていることも多い。ブラック企業の台頭も若者の困難に拍車をかける。普通に働きたいが、普通に働くことを許してもらえず、短期間で使い捨てされてしまう。それによって、うつ病精神疾患を発症してしまい、働けない状態に追いやられることも珍しくない。だから「働けば何とかなる」という「労働万能説」は今や通用しない。

 

その2  若者は元気で健康であるという神話(青年健康説)

若者たちは元気で健康的であると思う人も多いだろうが、労働現場において長時間労働や、パワハラの横行などにより精神疾患を発症する若者が増えている。これは年々上昇傾向にあり減少に転じる気配はない。日本社会は若者の精神を蝕んでいる。それに伴い若者の自殺率も高い特徴を見せている。主要先進国の中で、長年、若者の死因の第1位が自殺になっているのは日本だけである。世界で最も若者が生きにくい先進国だといっても差し支えない。

 

その3   若い時の苦労は買ってでもしろ(努力至上主義説)

必死に努力しても報われない社会が到来している。非正規雇用でどれだけ努力しても、正社員になれない若者がいかに多いことか。非正規社員の力・経験に大きく依存しながら、非正規社員は機械の歯車のような位置づけである。取って代わる人々はいくらでもいると言わんばかりに、企業は労働者を大切に扱わない。ましてや正社員化は進めない。雇用は増え続けているが、もっぱら非正規雇用の拡大であり、不安定な働き方に抑制が利かない。いかに人件費を削るかということが企業目標になっており、若者たちの労働環境はこれまでにないほど劣化している。

 

高度経済成長期時代の日本は雇用が潤沢であり、若者たちはごく普通に働けば、ごく普通の暮らしが享受できた。「一億総中流社会」などと呼ばれもした。年功序列の賃金体系であったので、若いころから汗水垂らして働けば中年になった頃にはある程度の役職に就けた。働いただけ報われる体制が確立していたと言っていい。また、そこまで頑張らなくても、身の丈に応じた働き方をする選択肢もあり、生涯平社員であってもそれなりの暮らしができた。働いている間に大多数の人々が結婚し、周りの人達に支えられて子供を育てていく幸せな生活ができた。しかし、そのような「家庭モデル」は急激に崩壊してしまった。

 

現代では雇用環境の急激な変化のため、若者たちは生涯平社員でいることさえ難しい。非正規雇用の拡大やブラック企業の台頭は、年功序列型賃金や手厚い保障をなくし、若者たちを使い捨て労働力とみなし、長時間の過酷な労働を強いる。若者たちは心身を壊して企業を離れていき、普通に定年まで働き続けられない。

 

私は、働く環境がいろいろと変わってきているということは漠然とわかっていたつもりだが、ここまで劣化しているとは思ってもいなかった。日本の将来を支える若者たちの多くが未来に希望を持てない社会を私たちは創り出してしまった

 

「貧困世代」を読んで、この貧困世代は明らかに人為的に政策や社会システムによって意図的に作り出されたものである。バブル景気の崩壊以降、人件費を削減するため、若者を犠牲にしながら、企業の成長や経済成長のため進められてきたものである。だからこそ、1990年代後半から非正規雇用の割合は、意図的に増やされてきており、若者の貧困も同時に正比例する形で拡大を続けている。

 

この現状を変えないと日本には明るい未来はないと思う。人為的になされた政策は人為的に変えていくことができる。そのためには政治家に仕事をしてもらうことになる。選挙が近いという。貧困世代という状況を終わらせたいと思っている人に言う。この貧困世代を作った政治家が今後も活躍するようでは貧困世代は終わらないことだけは間違いない。