ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

生涯学習について

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本棚を整理していたら、恩師からいただいた本を見つけた。表表紙の裏に恵存と言う言葉とともに達筆な署名がなされていて懐かしく拝見する。

恩師の名前は田中正明先生で、私は高校時代に国語を教えていただいた。先生が亡くなって、早くも7年になろうとしている。先生のことを思うと懐かしさがこみ上げてくる。

 

先生には高校時代にお世話になった後も、40年近くお付き合いいただいた。若い時、私が社会人になって大勢の前で話をする役目を担ったとき、その不安を先生に話したら、「よし、その練習をしよう。みんなの前で話をするようにここで話をしなさい。」と言って私の話の練習に付き合って下さった。私が話し終わった後「どうでしたか?」と聞くと、「君の話は、話の途中に「エーー」が多いね。30回以上「エー」があったよ。30回以上はもう数えなかったよ。」と注意され猛練習したことを思い出す。それ以来、何かあると先生の自宅を訪ね教えを受けてきた。先生は来る人拒まずで実に寛容な人であった。

 

田中先生は若い時から、源氏物語をライフワークとして研究されていて、退職後は「町中(まちなか)で源氏物語をよむ会」というカルチャー講座を立ち上げ長く活動されていた。その当時、私は仕事に追われ参加できなかったのは大変残念だったが、今日、見つけた先生の著書は「源氏物語生涯学習」というタイトルだったので先生のことを懐かしく思い出しながら読み始めた。

 

読み始めると、まず生涯学習について書かれていた。先生がまだ元気な時、私に生涯学習について語りかけて下さった、そのときの声を聞くような感じで読み進んだ。

ーどこの学校を卒業したかという学校歴の学歴ではなく、学び続けた深さを指す学習歴が21世紀の真の学歴になるという新しい考え方を持ちたい。ー

ー「生きることは学び続けること」生涯学習という生涯の学びには、卒業はない。死ぬまで続くのかもしれない。そのことをある人は、生涯一書生と言い、また他の人は、生涯現役・生涯青春と呼ぶ。学びに遅すぎることはない。生涯在学生という言葉を自分人生の姿勢として保持して欲しい。「生きることは学ぶこと、学ぶことは生きること」人生を豊かに生きて欲しい。ー

 

生涯学習社会とは「いつでも、どこでも、誰でも、何でも学ぶ」ことができる社会である。これを生涯学習と学習機会の「五つの自由」と言った人がいる。五つの自由とは次のようなことを指す

  age free       年齢の自由 

  time free      時間の自由  

  space free    場所の自由  

  menu free     内容の自由   

  medium free 方法の自由 

学校教育と違って実に多彩で、柔軟なのが生涯学習である。取り組む内容もボランティア・レクレーション・趣味・文化活動・スポーツ・組織的学習など実に多彩である。ー

特に年齢の自由は私にとってありがたい。「今からでも遅くはない」「学ぶに遅すぎることはない」という生涯学習の考え方は私の背中を押す。

 

生涯学習の最後の項目として「書くことのすすめ」が掲げられていた。

ー元愛知県知事の神田真秋氏も書くことの大切さを、著書「生涯学習ノート」の中で、体験を踏まえて次のように書いている。ー

ー私は、生涯学習を、人間の生き方そのものの問題と考えています。私たちが生きるこの社会は、学びつづける人間を求めている。換言すれば、この社会は、学ぶことを放棄した人間には、非常に生きづらくなっている。私にとって、拙文を書きつらねることもまた、生涯学習の実践そのものでした。書くことによって学び、自らの足らざることを自覚した。ー

ー書くことで大切な心がまえは、名文を書こうと思わないことである。生涯学習での「書くこと」はメモ感覚で、自分なりの生きた証しを残すつもりで書いた方がよい。つづられた文章に、生きる真摯さがあれば、自ずと人の心を打つ。ー

 

私は恩師の著書を読みながら、私のブログ投稿は、生涯学習の取り組みであると自覚した。「生きることは学び続けること」そして「書くことによって学ぶ」という言葉通り、書きつづけることによって、さまざまなことを発見し続けていきたいと思う。「未見の自己との新しい出会いのために」これからも投稿していきたいと思う。