ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「続・下流老人」を読む

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先日、藤田孝典氏が書いた、若者の貧困をテーマにした「貧困世代」を読んだ。そして、今回、老人の貧困をテーマにした「続・下流老人」を読んだ。「貧困世代」も「下流老人」も政治家による施策によって発生した問題だと理解した。

 

藤田氏は全国を講演で回るなかで、「下流老人にならないためには、どうしたらいいですか?」と質問されることが多いそうである。しかし、藤田氏の答えは、「今の、社会で、絶対に下流老人にならない方法は存在しない。」と答えるしかないということであった。

 

なぜなら、日本社会においては、この問題についての解決策が自己責任に委ねられ過ぎているからである。著書の中で藤田氏は述べている。

ー人間である限り、生きていくうえで、誰もが失業や病気、事故、介護といった大小のリスクを抱えるが、現在の日本ではそれらの対策や解決が個人や家族の自助努力に委ねられ過ぎてしまっている。その結果、不安を解消するさまざまな物やサービスが「商品」として売られるようになった。医療保険や介護サービスのほか、住まいや教育までも、多くの金銭を支払わなければ満足に受け取れない。生活に必要不可欠なもの、あるいは“安心”をお金で買う社会に、私たちは生きている。お金がなければ不安で仕方ないばかりか、生活も苦しいという現象が襲いかかる。ー

 

下流老人にならない方法は自己責任しかないというのであれば、下流老人生み出さない社会に変えていくしかない。しかし、現状を見ると、そのような理想はできるはずがないという声もある。そのような声に対して藤田氏は言う

 

ー私たちの日本社会は多くの理想主義者の飽くなき挑戦のうえに現在があることを強調しておきたい。先人たちは、数々の犠牲を乗り越えて、歴史から学び、より良い社会システムを模索してきた。この努力の積み重ねが、今の私たちの生活を支えている。ー

ー今では当たり前の公的年金制度や各種老人ホームなども、はるか昔はなかったものである。恐ろしいことに老後は、本人や家族任せであり、飢饉や不作の年には「姥捨て」が平然と行われていた時代もあった。児童養護施設の孤児院もなかった。家族の扶養が期待できない子供は人身売買された時代もあった。高額な医師の診察を受けられる人が少なかった時代もあった。昔は、一家の誰かが大きな病気になれば、一家で露頭に迷う事態が発生した。だから、国民皆保険医療保険制度が整備された。また、低所得者や女性は、そもそも参政権すらなかった時代もあった。選挙で投票することもできずに、社会的強者だけで都合よく社会システムが決められていた時代があったー

 

ーこのように私たちがいま、当たり前のように享受しているすべてのものは、“当たり前でない現実”を乗り越えてつくられてきた。誰かが不便と思ったり、おかしいと気づいて行動を起こしたからこそ、得られている利益や権利なのだ。理想主義者が努力して、諦めや無関心に屈することなく、繰り返し人々に必要性を訴え続け、賛同者を増やすことで、改革や変革を促してきたのであるー

 

ー理想主義者を排斥する社会は、成長や前に進むことを諦めた社会だと言える。私たちは、社会がどうすれば住みやすくなるのか、子供たちや孫たちにどのような社会を残すのかを考えて行動したい。少なくともこんなに多くの国民が不安の中で暮らす社会とは決別したい。そして人々が不安に駆り立てられ、疲弊することなく、尊厳ある生を全うできる社会にしたい。そのために行動する。何度でも繰り返し声を上げつづける。ー

 

藤田氏の著書を読みながら、自分の無知に気づく。著書の中に、国民の多くが政治家に対して不信感を持っていると書かれてあったが、私も同様である。基本に立ち返って、私たちにとって大切なことは、誰もが人間らしく、不安なく生きていける社会を実現することである。そのためにはどうすべきかということについて彼は以下のように強調していた。

 

ー理想の社会をつくるために、税金によって全員で負担を分かち合い、全員が恩恵を享受できる社会のあり方を積極的に考えていくべきではないか。そのためには、私たちの“納税意識”を変えなければならない。それは税金をきちんと納めるというだけではなく、納めた税金が適正に使われているのか、最後まで見届けていくべきではないだろうか。税金が「私たちの生活を保障するための財源」になっているかどうかを見ていく。税金の使われ方が議論されている場を関心を持って見る。また、何に使って欲しいか議論を始めよう。誰かに任せきりにするのではなく、それぞれの意見を持つことから始めよう。一人ひとりが税金の使い方に声を上げていくことから、日本の民主主義を取り戻そう。ー

 

日本社会のすべての世代に覆いかぶさっている貧困問題という暗雲は、日本の民主主義が死んでいた結果、生じた状況である。この状況を覆すためには、日本に民主主義を取り戻すことから始めるべきと藤田氏は述べている。不信感を抱いている政治家に、政治を任せきりにしない。私たちの税金が適正に使われているか、私たちの税金がどのように使われているのかを 注意して見ていく。決して任せきりにしない。このことが民主主義を取り戻すことに通じる。。私たちが民主主義を取り戻すということは、つまり、私たちの税金が生活の必要のために使われる社会へ転換することに繋がる。

 

私自身も、日本の民主主義を取り戻すために、私自身の納税意識をさらに鋭いものに磨いていきたいと強く思う。