ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

炭坑労働

先日、高島へ行った。高島は軍艦島同様、炭坑で栄えた島である。「高島石炭史料館」に行き高島炭坑の海底下の立体坑道模型を見ながら、この暗闇の海底下で高湿気と高温の中、ガス爆発や落盤事故や出水事故の恐怖を感じながら作業する過酷さを思った。海底下の深いところまで坑道を掘り進み、石炭を掘り出す炭坑の仕事は想像を絶する過酷なものであったと思う。

 

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 石炭から石油へのエネルギー転換の時代に、日本資本主義を最底辺で支えた、筑豊の中小炭坑で働く人々のを悲惨な実態を暴いた「追われゆく坑夫たち」を読んだ。

 

まえがきにこうあった

筑豊炭田は、ほぼ一世紀に近く、全国総出炭量の半分に及ぶ量の石炭を産出し続け、日本最大の火床として繁栄を誇ってきた。我が国の資本主義化と軍国主義化をおしすすめる重工業の歯車が、この黒いエネルギーによって回転した。三井、三菱をはじめ大小もろもろ財閥がこの地底から富を吸い上げて今日の基礎を築きあげた。そして、この獰猛ないぶきに満ちあふれた地下王国を支えてきたものは、日本の資本主義化と軍国主義化のいけにえとなった民衆の、飢餓と絶望であった。土地を追われ、職を奪われ、地上で生きる権利と希望のいっさいをはぎとられた農漁民、労働者、部落民、囚人、朝鮮人、俘虜、海外からの引揚者や復員兵士、焼け出された戦災市民・・・・・それぞれの時代と社会の十字架を背負ったものたちが、絶える間も無く、この筑豊になだれ落ちてきた。

この本はこの地下王国を支えてきた、組織されずに倒れてゆく坑夫たちの沈黙の声である。

 

絶望的な飢餓と貧困が人間的思考の一切をねじふせて、最後の動物的な生存のための少しでも条件のいい穴へ、いい穴へと追い込んでゆく。中小炭坑業者はその穴の奥にほんの僅かのエサ置いて、悪い狐のように待ってさえいればよい。最近における特徴的なものを二、三あげればーーーーー

 

1  肩入金

肩入金または支度金という名で呼ばれるこの前借金制度は、中小炭坑の場合、今もなお後を絶たない。しかもその金額は少なくなる一方である。十ヶ月から一年分の賃銀に見合うとされていた戦前のそれと比較するまでもなく、現在は1ヶ月の生活費程度で、多い方で五千円程度である。しかし、この僅かな肩入金につられて「身を売る」坑夫の数は増えていくばかりである。そこが決して極楽ではなく、今よりもさらに苦しい生地獄であることを覚悟しながら、彼らはその金を受け取る。そして、それがどれほど耐え難いものものであろうと、もはや彼に退職の自由はない。なぜなら、彼が「せめて人間らしい生活」の1日を買った僅か二、三千円の金は、ほとんど半永久的に返済不能だからである。それが返済できるほどの賃金を支払うくらいなら、はじめから決して肩入金など与えはしない。賃金を払わず、しかも半永久的に、ヤマのつぶれるまで労働者を奴隷としてつないでおくための鎖が、ほかならぬ肩入金であるのだから。

 

2  あがり銭

賃金の遅払い、分割払い、金券払いなどが多くなるにしたがって、中小炭坑の労働者たちは、たとえ安くてもよいから確実に賃金を払ってくれるヤマへと、しかも1日でも早く払ってくれるヤマへと流れてゆく今日の四百円を1ヶ月後に支給してくれるヤマよりも、今日この場で百円支給してくれるヤマへ落ちてゆく。こうした賃金飢餓に乗じて「あがり銭」支給制をとる小ヤマが増加している。「あがり銭」とは文字通り坑内からあがってくると同時に支払われる内払い賃金であり、通例その額は当日の賃金の20パーセントである。残りの80パーセントはいつ払われるのか。もちろん、それは無期限に遅らされてゆく。しかし、労働者は、日々に支払われるあがり銭の魅力と、日々に増えてゆく残余の未払い賃金への執着を断ちかねて、いつまでも働き続ける。

 

3  「朝三暮四」

最初の十日間前後はほとんど大手炭坑のそれに準じる程度の賃金を払い、それ以後は金づまりを口実に漸次ーしかも急速にー賃金を切り下げ、支払いを遅延させてゆき、やがて全くの零賃金で搾りあげるという巧妙な搾取戦術をとる小ヤマがある。この戦術は次のような大きな効果をおさめることができる。(一)初期の高賃金に惑わされて、労せずして優秀な技能者を確保できる。(二)遅払い・不払いが相当長期間にわたっても、労働者が見切りをつけずに働き続ける。初期の高賃金の幻想が労働者に期待をもたらす。(三)遅払い・不払いが長期間にわたっても、ほとんど不平不満が爆発しない。純朴で無知な坑夫たちは吸血鬼の手中に陥っていることを悟らないどころか、むしろ、これだけ高賃金を払ってくれた恩人が不況に苦しめられて気の毒にと同情を寄せ、ひたすら恩人を苦境から救出しようとして懸命に働き続ける。

悪辣きわまる心理戦術家は、こうして労働者の善意あふれる奉仕の血を吸うだけ吸ったあげくに、涙を流して閉山を宣告する。もちろん偽装閉山にすぎない。まもなく彼は、前回同様の戦術でヤマを再開し、ますます肥え太ってゆく。最初に相場以上の高賃金を出す小ヤマの多くは、ほとんどこの種の吸血鬼の巣であるといわれる。

 

4   「国家補助」

ひとつのヤマに腰を落ちつける暇もなく、中小炭坑の労働者は放浪しつづける。みずからケツをわり、あるいは追われ、あるいは閉山に投げだされてーーーーー。したがって、彼らの受け取る失業保険は一般に就業期間が短いためと低賃金のため、平均して少ない。いや、どれほど少なくても、とにかく失業保険の受給資格の発生する者はただそのことだけで幸運を掴んだものというべきである。もちろん、その幸運に恵まれた大半は、その保険金だけで飢えをしのげるほど幸運ではない。極秘で働かせてくれる内職につくことなしに到底生きてゆくことはできない。一部の悪質な盗掘業者たちの狙いがそこにある。彼らにとっては、これらの内職希望者は持参金付きの花嫁みたいなものである。彼らはその持参金にのっかって、恐るべき低賃金でこき使う。業者たちはこれを称して「国家補助」という。こうした悪徳業者の中には、わざわざ失業者を外から求めず、偽装閉山して従業員に失業保険を取らせながら、盗掘操業し、暴利をむさぼる者もある。あるいはまた、二つのヤマで申し合わせて双方共に偽装閉山を行ったうえで、それぞれの解雇者を交換採用し、前者と同様のやり口で暴利をむさぼるという、さながら「国家補助」協同組合のような例さえある。

 

この本を読み終えて、当時の中小炭坑労働者の労働の実体を知って驚いた。炭坑労働における労働者搾取の実態を知って驚くと同時に、働き、生活することがこれほどまでに苦痛を伴うものなのか、読みながら息苦しくなった。この話は、石炭産業が終焉する1960年代の話である。60年前に悲惨な人権無視の労務管理を体験してきたけど、現在、人権無視の労務管理は根絶できただろうか?今もって、人権無視の労務管理を聞くことがある。私たちの社会の課題は多い。

 

参考文献  :  上野英信著 「追われゆく坑夫たち」