ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

映画「新聞記者」を見た

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映画「新聞記者」より

イントロダクションにはこう書かれてあった。

 

権力とメディアの“たった今”を描く、前代未聞のサスペンス・エンタティメント!

 

一人の新聞記者の姿を通して報道メディアは権力にどう対峙するのかを問いかける衝撃作。

 

東京新聞記者・望月衣塑子のベストセラー「新聞記者」を原案に、政権がひた隠そうとする権力中枢の闇に迫ろうとする女性記者・吉岡エリカと、理想に燃えて公務員の道を選んだ若手エリート官僚・杉原拓海との対峙や葛藤を描いたオリジナルストーリー。

主演は韓国映画界の至宝シム・ウンギョンと人気実力ともNo.1俳優 松坂桃李

 

 

この映画はノンフィクションではない。この作品はあくまでもフィクションであり、エンタテインメントである。しかし、この映画に出てくる事件、事案は紛れも無いこの国の現実だ。

 

この映画を見て、私はジャーナリストの使命とは何かを考えた。「ジャーナリストの使命の一つは権力の違法を監視すること」であると言っていいかもしれない。

 

ジャーナリストが権力を監視していく中で、極秘情報や利権情報など、権力が国民に隠しておきたい情報を入手したとする。ジャーナリストが使命感を持ってそれを報道したら、報道機関としての認可を取り消され活動できなくなる。決してそれが誤報であったために認可を取り消されれるのではない。権力にとって不都合な事実を報道すると報道機関としての認可を取り消されることもある、という。映画の中で、現場で果敢に取材する記者と、それを記事にするかボツにするかを苦悩する報道機関の上司の姿なども描かれていた。このことは、自民党が報道機関に発した文書などを下敷きにしたものだと思った。

 

2014年、自民党はテレビ局に「公平中立な報道を求める文書」を出した。政府に反対意見を述べる人を3人インタビューするなら、賛成する人のインタビューも3人放送すべき、それが中立というものだ、という文章である。さらに、2016年、高市早苗総務大臣が「テレビ局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合は「電波停止」を命じることができる」と発言した。

 

こうした自民党の発言によって日本の報道機関は萎縮したのではないだろうか。浜矩子氏、金子勝氏など政府に批判的な発言をする学者はテレビ出演しなくなったし、岸井成格氏など舌鋒鋭く政府を追及していたニュースキャスターは次々に番組を降板した。

 

ジャーナリストとしての使命を発揮できない現状ばかりでなく、報道の自由がなくなりつつある現状を、この映画を通して強く感じた。

報道の自由が失われていることは事実である。それは、パリに本部を置く国際NGO団体「国境なき記者団」が毎年発表する、「報道の自由度ランキング」に如実に表れている。日本の「報道の自由度ランキング」は、安倍内閣が発足する前の2010年は世界11位であったのが、2012年に安倍内閣が発足して以来、ランクが落ち続け2017年には72位に落ちた。これは先進7カ国の中では最低である。報道の自由がなくなりつつある国として、世界から烙印を押されている現在の日本を考えると暗澹たる気持ちになる。

 

そういう状況の中、この映画が上映されたのは一条の光を見る思いであった。この映画の原案は東京新聞の望月衣塑子さんの著書「新聞記者」であるという。望月衣塑子さんのモットーは「権力が隠そうとすることを明るみに出すこと」だという。強大な権力を前に、一記者がどれほどの力を持てるか、それを授けるのは国民しかいない。

「ジャーナリストは市民の側に立って権力を監視する番犬である。」という基本に立つジャーナリストを応援していかねばとこの映画を見て強く思った。