ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「本島等の思想」を読む

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本島等(1922〜2014)は元長崎市長である。1979年〜1995年まで4期長崎市長を務めた。長崎は原爆被爆都市である。市長在任中、彼は被爆地の市長として平和行政を推進し、世界に核兵器の廃絶を訴えてきた。今回、彼の著書である「本島等の思想」を読んだ。感じることがあった。

 

1997年(平成9年)に、広島原爆ドーム世界遺産登録されたことに対して、本島等は、「広島よ、おごるなかれ 原爆ドーム世界遺産化に思う」という文書を広島平和研究所に寄せた。

 

彼ははその文章の中でこう言った。

『1997年、メキシコで開かれた世界遺産委員会で、日本が推薦した「広島原爆ドーム」が世界遺産に登録されることに決定した。登録は、米国、中国、日本、メキシコ、フィリピンなど21ヵ国の代表の合意で決定するものだった。

 

「広島原爆ドーム」は原爆の悲惨さ、非人間性をすべての国で共有し、時代を超えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑として推薦された。しかし、登録決定の過程で、米国と中国が不支持の姿勢をしめした。

 

米国は世界遺産登録に参加しない。「米国が原爆を投下せざるを得なかった事態を理解するには、それ以前の歴史的経緯を理解しなければならない。こうした戦跡の登録は適切な歴史観から逸脱するものである。」と主張した。中国は「我々は今回の決定から外れる」と発言した。

 

世界遺産登録は、満場一致で、拍手の中で決定されるべきものである。私はこの記事を見て、日本のエゴが見えて、悲しさと同時に腹が立った。

広島は原爆ドームを、世界の核廃絶恒久平和を願う、シンボルとして考えた。一方、中国、米国は日本の侵略に対する報復によって破壊された遺跡と考えた。

 

アジア、太平洋戦争は、90%中国と米国を相手とした戦争であった。アジア、太平洋戦争については日本と中国、米国の間には、共通の認識と理解が成立していない。広島に大戦への反省があれば、世界遺産登録はなかったと思う。

 

広島の被爆者たちは世界遺産登録について、「核兵器廃絶のスタート地点に立とう、という世界の意志が読み取れる」と歓迎している。しかし、中国、米国は核兵器廃絶のスタート地点に立たないと明言している。

日本では、原爆を世界の悲劇的事実として扱う。原爆投下の原因より、原爆の惨事そのものに関心を集中する傾向は、第二次大戦に対する日本社会全体の態度を表している。

原爆の惨害は多く語られている。しかし、日本では、原爆の投下の原因は語られることは少ない。私たちはここで、それを語らなければならない。広島は戦争の加害者であった。そして、被害者になったことを』

 

米国による広島、長崎への原爆投下について、米国やアジア諸国は「原爆投下は正しかった」と思っている。これは世界の一部でなく、外国の論調は大体そういうことである。

 

例えば、アメリカ人の中には「広島、長崎への原爆投下は第二次大戦を早期に終結させ、米兵と多くの日本人の生命を救った」「原爆は救世主である」と言う人も多い。第二次大戦中、日本軍よって殺された人数が110万人に及ぶフィリピンでは「日本の方はよく広島、長崎とおっしゃいます。しかし、戦争中、フィリピンは日本軍によって支配されていました。当時のフィリピン人の考え方は、広島、長崎ばかりでなく、東京も大阪も全部やってしまえばよかった。戦争を始めたのは日本だから、戦争を始めたからには当たり前だろ、思っていた。」とフィリピンの作家シオニール・ホセ氏は述べた。また、日本軍の三光作戦(注)により1941年〜1943年までに240万人が殺されたと言われる中国では、日本在住の中国人が日本の新聞に投稿して「多くのアジア人は、日本の侵略行為を一日も早く終結させるために、原爆投下は有効だった正しかったと考えている」と述べた。

(注: 姫田光義三光作戦とは何だったか 」岩波ブックレット)

 

私は、当初、本島市長の「広島よ、おごるなかれ」は広島に失礼だろうと考えていた。しかし、今回、著書を読んで彼の考え方を理解できた。私たちは世界に発信するときは世界を知って発信しなければならない。島国根性の思いは世界には通用しない。世界の原爆感と日本の原爆感の大きな開きをなくさない限り、広島・長崎からの平和メッセージは世界に届かない。広島・長崎を最期の被爆地にという恒久平和の願いを世界に訴えていくためには、まず日本の過去にまっすぐ向き合って、加害者としての謝罪から始めることが必要であると私も納得した。