ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

福江散歩(1)

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赤ピンから矢印にすすみ赤ピンまで戻るコース。距離5.40km、上昇高度15m、所要時間3:20:58、天気曇り、温度26度、湿度89%

昨日は台風5号が五島に接近したため大雨となり、五島地方は警戒レベル5という警報が発表された。昨日は五島地方の一部では崖崩れなどが発生したが、私が住む大浜地区は幸い何事もなく過ごすことができた。今日も雨という予報であったが、曇ってはいるが、雨は降りそうにないので福江市内の散歩に出かけることにした。自宅近くはよく歩くが、福江市内は未知のところが多く楽しみである。

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福江は 五島市の中心地で人口約27,000。五島市の人口が約37,000であるから人口の約70%がこの福江に集中している。

福江はこの地を治めた五島藩が城を構えた場所であり昔から行政、文化の中心地と栄えた町である。

 

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海の玄関 五島港ターミナル

五島に来るためには海の便か空の便を利用することになる。今日は、海の玄関である五島港ターミナルへ行く。ターミナルの前には歓迎の立て看板が立てられている。もちろん、最近は外国のお客さんが多いので、立て看板は英語版、韓国語版、中国語版そして日本語版四つがたてられている。

 

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福江ー久賀島間連絡船 シーガル号

福江港からは長崎行き、博多行きなどの航路とともに五島近辺の島々への連絡船が数多く出入りする。ターミナル埠頭を歩いていたら、隣の島である久賀島とを結ぶ連絡船シーガル号が入港してきた。連絡船は通勤、通学、通院、買物など島民の足である。

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常灯鼻

福江港の港の中に昔の防波堤があり、その先端には灯台があり常灯鼻(じょうとうばな)と呼ばれている。この常灯鼻は福江城を築くにあたり、城の北東からの大波を防ぎ、築城工事を容易にするために築かれたものである。

灯台部分は石工技術の発達した江戸末期の造りだけあって、築造から160年以上たった現在でも激しい波風に耐え、出入りの船舶を見守り続けている。

 

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福江城外堀

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福江城 蹴出門 五島高校の学生は登下校にこの城門を利用する

港から真っ直ぐ山手の方に進むとお堀に出る。これは福江城のお堀である。福江城は

日本で一番最後に作られたお城(一番新しいお城)である。鎖国政策の江戸時代末期、異国船がたびたび通商を求めて来航するようになり、五島藩に海防のための築城が許可され江戸時代末期の文久3年(1863年)に築城された。この城は城壁の三方を海に囲まれた日本唯一の海城であった。

しかし、築城後五年で明治維新を迎え、さらに明治4年(1872年)廃城の措置がとられ、天守閣などは解体された。存在わずか9年間の幻に近いお城である。しかし城壁など城址として面影をとどめている。

現在は本丸跡に県立五島高校、二の丸跡に五島観光歴史資料館、図書館、文化会館が立ち並び五島市の代表的な文化ゾーンとなっている

 

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お城ができたらその周りに城下町ができ、そこには、武家屋敷通りがあるはずだと思って、お城の周りを歩いていくと武家屋敷通りの案内があった。ここの武家屋敷通りの石垣の特徴は石垣塀の上に「こぼれ石」といわれる丸い小石を積み重ねている点である。一説には外部からの侵入を音で知らせる役目とか、いざという時の武器として使うためとか言われている。

 

 

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明人堂

五島列島は日本の最西端に位置し、中国大陸に最も近く、古くから大陸との交流を行ってきた。天文9年(1540年)明国人王直が通商を求め福江に来航した。五島藩主は通商を許し、城下の一角(現在の唐人町一帯)を居住の地として与えた。明人堂は王直らが航海の安全を祈った廟堂跡地であるといわれている。 

 

今日の散歩は興味を引かれることが多く寄り道ばかりしていた。5kmほどの距離を3時間以上要したのもそのためである。興味を引かれたことについては別の機会にご報告したい。五島がますます好きになった。