心字が池を周遊していると大きな屋敷を正面に見る。このお屋敷は五島家第三十代藩主・盛成公が建てた隠殿(隠居所)としての邸宅である。このお屋敷も見せていただけるということで、有り難く殿様のお屋敷を拝見させていただいた。
屋敷に案内されて入っていくと玄関の間に通された。さすがに広い玄関の間である。そこには、「心字が池庭園」を設計した全正の辞世の句が書かれた大きな屏風があった。
全正は京都の学識深い僧侶であったが、京都の色街で名を馳せ、破戒僧として遠島の刑を受け、五島に流されてきた。五島藩主は全正の造園に関する造詣の深さを認め、全正に命じ庭園を造らせた。全正は「心字が池庭園」完成2年後、五島で死去したといわれる。
お殿様が客人を接見した隠殿の客間である。盛成公が特に好んだ亀を釘隠や欄間に施している。障子の桟は奇数を陽とする中国の思想から七・五・三で作られている。
奥座敷である梅の間は、壁の唐紙模様、釘隠、欄間彫刻はすべて「ねぢ梅」の紋が用いられている。
お殿様の隠居所である隠殿を見せていただいて、細部にこだわった作りに感銘を受けた。釘隠しには亀、梅、兎などを場所により使い分け、壁紙に当時は珍しいものであった雪の結晶を用いた斬新な模様が用いられていたのには驚いた。お殿様が専ら風月を友として過ごされたお屋敷を直に拝見し、風流の余韻を味合うことができた。
私も風流人として生きたいものだ。