先日、大阪の友人から大雨見舞いの電話を受けた。今回の秋雨前線の活発な動きによって長崎・佐賀地方では大雨による被害が発生したが、私が住む当地では大した被害もなく過ごすことができた。
久しぶりの電話でお互いの近況など話していたら、来年、友人が長崎に遊びに来るという話になった。私が「長崎市内観光を中心に計画を立てるから楽しみにしといて」と話したら、「いや、長崎市内観光ではなく五島を中心に観光したい。五島列島を案内してほしい」という要望であった。私は五島に住んでいるが、まだ日も浅く行ったこともない観光名所も多くあり不安に思ったが、一年の準備期間があるので、「了解。私が五島満喫の旅を案内するので楽しみにしといて」と大見得を切ってしまった。
そこで、早速今日から五島観光の下見をすることにした。毎日曜日、目的のないぶらり旅をしていたが、今日からは「五島満喫の旅」の下見という明確な目的で五島を歩くことになった。ぶらり旅と違った問題意識を持った旅もいいかと思う。
今日のコースは富江の黒瀬から大宝までは国道384号線を大宝から玉之浦までは県道50号線を海岸沿いに玉之浦まで行くコースで①大宝寺 ②白鳥神社 ③井持浦教会 ④玉之浦アコウの木 ⑤向小浦園地 の各名所に立ち寄ることにした。
黒瀬から大宝(だいほう)までの道路は国道とは言いながら昔に作られた道路でカーブも多く道が狭いところもあり、また途中断崖絶壁みたいな場所を通るかなりスリリングな道路である。途中丸子、琴石、太田という集落を通過するがいずれも限界集落となっており、久しぶりの晴れ間の1日なのに雨戸のままの無人の建物が多く見られた。20年前は立派な建物だった家が閉じられたまま何軒も立ち並ぶ光景は何か淋しさと悲しさを感じる。
大宝の町の入り口には、大宝寺の案内の大きな石碑が建てられている。大宝という町の名前そのものがお寺の名前であり、お寺がこの町の中心であることがよくわかる。
この大宝寺は弘法大使・空海が帰朝の際、大宝の浜に上陸し、暫くこの地に滞在したことから「西の高野山」と呼ばれる古刹である。
「大宝元年(701年)中国より三論宗の祖師、道融和尚が来朝し弥勒山観音院大宝寺を開創する。また、第41代持統天皇の勅願寺でもある。その後、大同元年(806年)、空海が帰朝の途、この地に滞在し大宝寺において本邦初めての真言密教の講莚を行い、三論宗を真言宗に改宗する。室町時代の涅槃図、我が国最古の大般若経、梵鐘(県文化財)日本三大秘仏の聖観音像などが収められている」と案内にあった。
日本三大秘仏の一つにあげられている「聖観音像」について僧侶の方にご開帳の予定をお聞きしたところ、ご開帳の予定は全くないということであった。50年に一度とか百年に一度とかないのですかと重ねてお聞きしたが、歴史的に開帳した記録がないので今後もご開帳の予定はないと話されていた。写真もありませんかとお聞きしたらレプリカがあります。昔から使われてきた厨子の痛みが酷く、昭和の時代に厨子の修理のため御本尊に一時的に厨子の外に出ていただいた時、等身大のレプリカを作成したということであった。「そのレプリカは本殿の祭壇でお祭りしております」という案内を受けてレプリカの写真を撮らせていただいた。高さ15cmほどの聖観音様であった。レプリカといえ柔和なやさしいお顔を拝見し、心安らぐものを感じた。
聖観音さまのご尊顔を拝見していたら写真がぶれているのがわかる。随分注意して慌てないで慎重にシャッターを押したつもりが力が入っていたみたいでぶれている。また機会を見て聖観音さまのレプリカを見せていただこうと思う。
「寺の定めにより秘仏になっております。秘仏であるからご開帳はありません。その昔、住職が特権を悪用し、秘仏を厨子から出し秘仏を見るという暴挙を行ったことがありました。その住職は、程無くして、目が見えなくなったという言い伝えが残っています」という話をされていた。
今日の下見は大宝寺で時間がかかり過ぎた。あとはまたの機会にしたい。1年間の準備期間は瞬く間に過ぎてしまいそうで心配になる。