介護離職と言う理由で前の職場を辞して、自宅で母の介護をしながら1ヶ月が過ぎた。そして、私は誕生日を迎え古希となった
現在、母の症状は認知症初期の段階である。普段は特別手がかかるわけではない。基本的に、まだ一人で何でもできている。
そのような状況の中、介護のために仕事を辞めて毎日自宅で過ごしていたら、地元の知り合いの会社から忙しいので手伝って欲しいという声がかかった。手伝う仕事は私が長年やってきた慣れた仕事である。私は今、介護離職したとはいえ、ヘルパーさんに週二回来てもらっているし、本人は毎週一度はデイサービスに半日出かけ、毎週一回は生花教室に通っているし、私が一日中介護しているわけでもないので、仕事を引き受けることにした。
先日、新しい職場の朝礼に参加して社長さんから職員の皆さんに紹介をしてもらった。社長さんは私を職員の皆さんに紹介するとき、「〇〇さんはこの仕事のエキスパートでありベテランです。この機会に〇〇さんの仕事を見て学んでいただきたい」というような話をされた。
社長さんの紹介は、私を高く評価していただき有難い紹介であった。確かに長年この仕事に従事したということで言うとベテランには違いないが、私はベテランという意識は決して持ってはいけないと思っている。
ベテランではあるが、仕事に対しては、常に創意工夫をして、常に前進することを考え続けなければならないと思う。ベテランという殻に閉じこもると旧態依然のしきたりに固執した化石みたいな人間に陥る危険があると考えている。常に感性を磨き、仕事に対して常に新鮮さを求め続ける姿勢を貫きたいと思う。
「ベテランになれ!しかし、ベテランという意識をもつな!」このような思いを持つようになったきっかけは、65歳を過ぎて再雇用で働く機会を得て、新しい職場で仕事をした時の反省からである。
私は40年近く同じ仕事してきた。長年勤めた会社を辞めた後は、もはや二度とこの仕事につくことはないと思っていたが、五島の会社から仕事の誘いがあった。私は健康に自信があり、まだまだ仕事を続けたいと思っていたので、長年やってきた仕事なら、まだ自分でもできるという自信から五島の会社にお世話になることになった。
長年やってきた仕事だから、今までの経験で仕事ができる。今まで通りやれば良いと考えていた。新しく学ぶものは何もないはず。今までの経験で充分である。というような考えで仕事についたところ、私の考えは完全に間違いであることが入社してすぐにわかった。新しい職場では学ぶものは何もないというのは間違いで学ぶことがたくさんあった。私より若い人ばかりだが、その若い職員から教えられることがたくさんあった。
私は年齢的に人生の先輩であるから、新しい職場の皆さんは私のことを先輩として遇してくれたが、私の内心は逆で、私としては、教えられること、学ぶことが多くあり、仕事を通して成長する喜びを感じることができた。仕事を通じて毎日新しい発見があり、職場において新鮮な日々を過ごすことができた。
私の仕事はサービス業である。顧客は男女を問わず、また高校生から高齢者まで顧客の幅は広い。
そのようなお客様に対しての接客態度方法などについて、話術、コミュニケーション能力、人間性に及ぶものについても学ぶものがあったし参考になることが多くあった。仕事を通して、死ぬまで勉強ということを実感として感じた。
私が長年培った方法とは違うものを見せられて大変勉強になったし刺激になった。ベテランなどと言って呑気に構えていたら化石になってしまうと恐怖を感じた。
また五島の会社では、乗馬クラブを所有していたので私の仕事とは直接関係しないが、乗馬を学ぶことができたのは幸運であった。この会社にお世話にならなかったら乗馬をする機会はなかったと思うと仕事をして良かったと思う。
今度、就職した新しい職場は中国人スタッフがたくさんおられた。社員食堂で相席した人の会話を聞くでは無く聞いていたら日本語ではなく中国語であった。この会社では中国語の勉強が盛んなようだ。私もこの機会ににもう一度中国語の勉強をはじめようと思う。この会社には乗馬クラブはないが、そのかわり中国語を学ぶ機会が増えることが嬉しい。
古希を迎え、なお仕事ができることを感謝する。古希を迎え、学ぶ機会を得たことは楽しみである。