知り合いの娘さんが初詣で御神籤を引いたところ“凶”が出てしまったそうだ。娘さんはそれを気にして、験直しで他の神社で御神籤を引いたところ、またまた“凶”が出てしまい、さらにひどく落ち込んだという話を聞いた。
新年を迎え、神社にお参りして、心新たに今年も頑張ろうという思いでいる時に御神籤の“凶”を引いてしまうと、真面目な人ほど落ち込んでしまうのは気持ちとして理解できるが、悪いことばかり考えなくてもよいのにと思う。
人間の運勢は盛運、幸運ばかりで成り立っているわけではない。良い時もあれば悪い時もある。それが当たり前である。凶が出たのは現在が底であることを示しているのだから、今は隠忍自重して力を蓄える時期であることを示していると思えばよい。今年は将来発展の基礎固めの時期と考え、教えていただいてラッキーと思うべきである。“艱難汝を玉にす”ということわざがあるが、まさに成長するチャンスと捉えればいいだけの話である。
物知りみたいな書き方で申しわけないが、これは高校時代の恩師からの教えである。
恩師がお亡くなりになって7年が過ぎた。恩師から亡くなる半年ほど前に最後のお手紙をいただいた。今もその手紙を時折読み直しては恩師の声を聞く。
その手紙の一部を記す
冠省
病床にて、少々むりな姿勢で認めておりますので乱れるかもしれませんが悪しからず。
長い友となったガンさんと仲よくしながら闘いながら、季節の移ろいを賞でています。慌ただしく花が散り、あっけない思いをしておりましたら、至る処に照り映えるばかりのつつじ。在来の山つつじは少々で、殆どが、誰かがいつか意識的に植えたもののようです。
私もまもなく八十。傘寿。いろいろ考えてくるものがあります。
いくつか箇条書きにしてみます。
○ 幸、不幸がより合わせるようにやってくる
○ 自分(たち)の人生は、自分(たち)で創る
○ 人と人との出会いの摩訶不思議さ
○ 意識的努力をしないと平穏なんぞ永つづきしない
○ 人はそれぞれ物語を生きる。夫婦も又ー。
物語の大半は自分で執筆するものです。物語には山あり、谷あり、するのが普通です。私たち凡人の物語は円満で終わらせたいものです。それも意識的努力をしてー。
(中略)
お二方は、今、六十代。七十代は足早にやって来ます。
これでもか、これでもかといたずらをするものが背後よりやって来ます。余程タフでないと、力を併せないと防ぎきれません。治に居て乱をではなく、治に居て治を用意するのです。
これも意識的努力、愚直な誠実さによって。
(中略)
自分たちが書くエピローグは一日一生、刻むように書き綴って下さい。
祈ります。期待しています。 草々
平成24年4月
おって、便りが遅くなってすみません。残りの命を愛しみつつ筆を執っております。
ベッドに横たわったまま、残りの命を愛おしみつつ書いていただいた手紙を遺言と思い今も大事にしている。
私の年明けは神社で“凶”を引いたわけではないが、私も実質“凶”の年明けであった。年末から喉の調子が悪く市販薬を飲んで静養していたが、新年と同時に高温となり、また、元気だった妻も発症して、二人とも正月早々緊急病院で診察を受けることになった。インフルエンザの検査では二人ともマイナスで一応安心したが、それから回復まで10日間を要する病の幕開けになった。このため、お正月の楽しい計画は全てキャンセルとなり淋しい年明けになった。
7年前、恩師から手紙をいただいたときは、「幸、不幸がより合わせるようにやって来る。これでもか、これでもかといたずらをするものが背後よりやって来ます。余程タフでないと、力を併せないと防ぎきれません。」というくだりを他人ごとのように考えていたが、確かに恩師の言葉通り人生が進むのを実感する。病魔もその一つなんだと恩師の言葉を実感した。恩師が言うように、これが人生と思い、二人して励まし合いながら今年も歩んでいきたいと思う。