ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「エンド・オブ・ライフ」を読む

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「エンド・オブ・ライフ」はノンフィクション・ライターの佐々涼子さんが6年間に及ぶ在宅医療・在宅看護を選択した患者さんを取材して本にしたものである。

 

紹介文に『「死ぬ前に家族と潮干狩りに行きたい・・・・・・」患者の最後の望みを献身的に叶えていく医師と看護師たち。最後を迎える人と、そこに寄り添う人たちの姿を通して、終末期のあり方を考えるノンフィクション』とあった。

 

在宅医療とは、病気や怪我で通院が困難な人や、退院後も治療が必要な人、そして自宅での終末医療を望む人などのために、医師や看護師が訪問して行う医療である。

 

在宅医療を専門に行う診療所の院長は終末医療の在宅医療について「患者さんが主人公の舞台に、我々も上がってみんなで楽しい劇をすること」と言っていた。そしてその中には人生の卒業式というシーンが含まれる。

 

終末医療を病院でなく自宅で行うことを決めた患者さんがその在宅医療について様々な考えを述べている。「患者である本人が、自分の好きな人と自分の好きなように過ごし、好きなものを食べて好きな場所に出かけること。自分の人生を生ききることを助ける方式」「患者が人生の最後にどのような暮らしをしたいのかを酌んでくれるのが在宅医療である。個人の要求を一個一個聞いてくれて、患者自身のサイズにあったものに仕立てくれるテーラメイド医療」「こうじゃなきゃダメ、というのではなくどちらでもいいですよ。やってみたらいいですよ。ダメならまた考えて変えたらいいんです。という在宅医療の姿勢や方針が有難い。」

 

在宅医療を選択する患者さんから「自分が恵まれているのはわかっています。こういうわがままに向き合ってくれる家族や仲間がいるから、こうやって過ごせているのだと思います」という言葉もある。

 

終末医療も在宅医療でできるようになった要因の一つに身体の痛みや不快症状を緩和する緩和ケアの進歩があるようだ。末期ガンの患者さんは激しい痛みに襲われることがよくある。その痛みは昔よりはるかにコントロールできるようになったそうで、痛みを抑えながら家で過ごすことが十分に可能になったようだ。

 

この本の中で、著者が訪問看護をしている看護師に「家で看取られたいですか?」という質問をする場面がある。何人かの看護師はその質問にびっくりすると、苦笑いして言葉を詰まらせたあと、きまり悪そうに「こんな仕事しているけど、病院でいいわ」と言う。専門職ですら難しさを感じているのだから、やはり、家で病人が過ごすのはハードルが高いことなのだと思う。そのハードルというのは心理的側面が大きい。医療や介護チームのサポートが入ったとしても、家族の負担は小さくない。家族を家に縛り付けることになるなら病院の方が良いとと思う人も多い。

 

私たちが日本の小さな離島で看護師も医師もいないところで家族を看取ることになった場合、否応無く在宅を取らざるを得ない。しかし、有難いことに現在の日本ではほとんどの人は標準治療を受けることができる。助けが欲しいと思えば119番に電話したらすぐに救急車が来てくれる社会に住んでいる多くの日本人にとって、終末医療も標準医療のコンベアに載せられて、最後を病院や介護施設で迎えることも多い。

 

在宅医療で家族に見守られ死を迎えることも、出来るだけ周りに迷惑かけずに病院で死を迎えることもいろんな命の閉じ方があっていいと思う。ただ一つ言えることは、人生の最後の幕引きは思いつきではできない。その人が今まで歩んできた生き方がその人の人生の幕引きの仕方につながるのだということをこの本を読んで思った。自分の人生、自分の命の閉じ方を考える機会になった。