ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「赤木俊夫さんに関わる裁判」始まる

森友学園との国有地取引をめぐって財務省の上司に公文書の改ざんを強いられ、それを苦にした財務省近畿財務局の上席国有財産管理官・赤木俊夫さん(享年54)は、2018年3月7日、自ら命を絶った。

 

 赤木さんの妻・雅子さんは「真実が知りたい」として、国と佐川宣寿元財務省理財局長を相手取った損害賠償請求訴訟を起こした。7月15日、この裁判の第1回口頭弁論が大阪地裁で行われた。

 

この裁判で赤木雅子さんは下記のように意見陳述した。

「私の夫、赤木俊夫は決裁文書を改ざんしたことを悔やみ、2018年3月7日、自ら人生の終止符を打ちました。夫は震える手で遺書や手記を残してくれました。

私は夫の死後2年経過した2020年3月18日、遺書や手記を公表しました。

そして、同日、夫が自ら命を絶った原因と経緯を明らかにするため、夫と同じように国家公務員が死に追い詰められることがないようにするため、そして、事実を公的な場所で説明したかったという夫の遺志を継ぐため、国と佐川さんを訴えることにしました。

 

決裁文書を書き換えることは犯罪です。

夫は「私の雇い主は日本国民。国民のために仕事ができる国家公務員に誇りを持っています」と生前、知人に話していた程国家公務員の仕事に誇りを持っていました。

 

 そのような夫が決裁文書の書き換えという犯罪を強制されたのです。夫の残した手記によると、夫は改ざんを指示された際に「抵抗した」とあります。また、私は、夫の死後、池田さんからも、夫は改ざんに最初から反対していたと聞きました。

 

夫が決裁文書の改ざんによって受けた心の痛みはどれだけのものだったでしょうか。国家公務員としての誇りを失ったでしょうし、強い自責の念に襲われたと思います。

 

 夫は手記や遺書に「この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。 事実を、公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法をとるしかありませんでした。(55才の春を迎えることができない儚さと怖さ)」、「現場として相当抵抗し、最終的には小西次長が修正に応じ、修正前の調書に合わせて自ら、チェックマークを入れて整えました。事実を知っている者として責任を取ります。」と書いています。

 

 夫は改ざんしたことを犯罪を犯したのだと受け止め、国民の皆さんに死んでお詫びすることにしたんだと思います。夫の残した手記は日本国民の皆さんに残した謝罪文だと思います。」

と赤木雅子さんは意見陳述の冒頭で述べておられました。

 

 

 

赤木俊夫さんは「国家公務員倫理カード」を常にスケジュール帳に挟んで持ち歩いていた。

国家公務員倫理カード

  1 国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか?

  2 職務や地位を私的利益のために用いていませんか?

  3 国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか?

赤木俊夫さんは公文書の改ざんをしたことについて、国家公務員倫理カードに照らして、公正に職務を執行したか?国民の疑惑や不信を招くような行為をしなかったか?何度も何度も「国家公務員倫理カード」を見つめては苦しんだのではと思います。

 

そして、最終的に死んで責任をとる道を選んだと思うと赤木俊夫さんを死に追いやったのは誰だと叫びたくなります。

まともな国家公務員がこのような形で生命をなくすことが二度とあってはいけない。是非ともこの裁判において赤木さんの死に至る真実を明らかにして、二度と同じようなことが起きないよう社会としての教訓を導き出してもらいたいと思う。

 

 

それにしても、改ざんを指示したと言われる佐川元理財局長は、騒動のさなか国税庁長官にまで昇格した。また赤木俊夫さんの手記の中で「詭弁を通り越した虚偽答弁をしている」と指摘された太田充氏は7月20日付で事務方トップの事務次官に昇格する人事が発表された。

 

国民民主党小沢一郎衆院議員が先日ツイッターに投稿した。「国家公務員総合職の初任研修では倫理関係は10時間ある。各省事務次官が『公務員の在り方』について講義するというが、何を語るのか」と指摘した。

「総理への奉仕の精神、総理の御意向の忖度、国会答弁での逃げ方、絶対にばれない隠蔽のやり方、公文書改竄の方法か」と昨今情勢を皮肉り、「何人の次官に公務員の在り方を語る資格があるのか」と問いかけた。今問われているのは「極めて初歩的な倫理観ではないのか」とし、「上から不正を指示された時、国家公務員としてどうすべきかなど、より身近な題材で研修するのが先ではないか」と記した。

 

今、日本の社会では、赤木俊夫さんみたいな公務員の模範みたいな人は疎まれたり死に追いやられたりして、公文書改ざんや虚偽答弁を平気で行う輩が出世することが当たり前みたいになってきているようだ。似たようなことは、行政機関だけでなく司法機関に置いても起きている。また国家機関に限らず民間の報道機関においては権力を批判し正論を吐くものは遠ざけられ、御用学者とか御用評論家とかいう権力に迎合する者が幅を利かすような様相を見せている。これが続く限り、日本に明るい未来はない。いや、それどころか日本はまっしぐらに衰退の道をたどるだろう。私たちは今、その分岐点に立っているのではないかと思わざるを得ない。

今回の赤木俊夫さんの遺族が起こした裁判は赤木さん遺族の個人の問題にとどまらず、この裁判は私たち日本国の行く末を示すものと考える。あらゆる機会をとらえて赤木さんを支援する声を上げていかなければと思う。