柳田国男氏の「毎日の言葉」を読んだ。柳田國男氏は有名な民俗学者であると同時に、国語教育にも尽力された方である。
柳田氏はこの本の序文に
「毎日の生活の中で使われる「毎日の言葉」の中から、どうしてこれらの言葉ができたかを話していきます。中には、皆さんに判っていることも混じっているかもしれません。解釈がいろいろと人によって違っていることもあるかもしれません。国語の歴史を明らかにするには、比べてみることが実に必要です。」と書いている。
柳田氏がこの本を書いたのは今から74年前の1946年である。柳田氏は本の中で「言葉は時世に連れて幾らでも変わっていきます。心がけ次第でいくらでも良くなりますが、逆にもっと見苦しくなることもあります。」と語っている。柳田氏がこの本を書いた74年前の日本語から現在の日本語を考えた。
『「有難ウ」は言葉通り有り得ないもの、有るのが不思議なものという意味で、人間わざを超えた神の御徳御力を讃えて言っていたのが、いつからか人と人の御礼の言葉になったものです。外国にもよく似た例があります。フランスの「メルシー」やイタリアの「グラッチェ」は、共にもとは「神の恵みよ」という意味であり、「有難う」と同様に、楽しいにつけ嬉しいにつけ神仏を讃えたものがお礼の言葉に使われるようになりました。
それを「どういたしまして」とか「何のあなた」などと、丸で自分に言われたように否定するのは、考えるといい気なものだとも思います。だからと言って神仏を信じない者は「有難う」と言うべからずとも言えませんが、少なくともこうなった歴史だけは知っている方がよいでしょう』と書かれてあった。
私は「有難し」は神を讃える言葉ということは知っていたが、日常会話で「ありがとう」と言われて、何気なく「どういたしまして」と言っていた。それは、本来的には間違った使い方であると言うことは指摘されるまで気がつかなかった。なるほどと思う。
『御礼に「ありがとう」という言葉は以前は使わなかったようで、中世以前は、「カタジケノウゴザル」などと言っていました。また、古い日本人は「有難う」の代わりに「好いな」「うれしいな」とか言っていたようです。信州では「カンブン」という礼の言葉があります。これは「過分」から来ていて自分には分に過ぎたる好意、思いもよらない喜びという意味で使っていました。
滋賀県などには「ウタテイ」とか「オトマシイ」とか言う言葉があります。「そんな必要もないのにあなたは無益なことをなされる」という意味です。』
御礼の「ありがとう」という言葉とともに、「カンブン」「ウタテイ」「オトマシイ」などの言葉も各地で使い続けて欲しいと思う。
『「どうも」は言わば一種の老人語、思慮ある階級に属する者が重々しく、どうしても、如何に考えて見てもと、さも終局の判断らしく付け添えていた言葉です。
「どうもありがとう。」などと使う人がいますが、「ありがたい」のような特別に問題のない文句に、心軽く結びつけるのは本来は違和感があります。』
「ドウモありがとう」は現在においては、本来的には間違った使い方かもしれないが、深い感謝を表す意味で定着しているように思う。74年前は違和感を与えたようだが、現在は、慣れてしまい違和感は無くなったような感じがする。
『「ボク」(僕)は、人が自分のことをいう言葉で、近年になって生まれた言葉です。僕という言葉は中国語からきています。漢文を書く者はこの文字を自分という意味で使います。「僕」は中国語で下男、使用人という意味です。相手を尊敬し我が身をへり下って、召使いという意味で自分を僕と呼んで使うことがあります。それが、いつのまにか男の子が自分のことを「僕」というようになってます。目上でも何でもない只の同輩にこの文字を使うのは濫用です。人の僕でも下男でもない者が、自分をそう呼ぶのは卑屈な話ですが、真似した人の大部分は言葉の意味を知らなかったのだから仕方ないでしょう。でも、何か代わりの良い言葉が生まれてほしいです。』
74年前に指摘されていた「僕」という言葉は、日本では定着してしまったように幅を利かせている。しかし、「僕」が下男とか使用人とかいう意味ということがわかった今は使わないようにしたい。私も何か代わりの良い言葉の出現を期待したい。
挨拶言葉のいろいろ
朝の挨拶
オハヨウ、オヒナリアソバイタカ、オヒンナリ(金沢)、オヒンナシタ(下五島)、タダイマ(庄内地方)
仕事中の訪問挨拶
ゴショオダシ(播磨)、オセイヲオダシナサイマシ(佐渡)、オセンドサン(近江)、キビシゴザイマス(大和五条)
日中の挨拶
オアガリナサイ(下総)、アガネスカ(南秋田)、アガリアンスダカ(陸中閉伊)
晩方の挨拶
オシマイ(備後福山)、オシマイヤス(大阪)、オシマイデゴゼンスカ(静岡)、オシマイナサイマシ(伊豆韮山)
薄暗くなる頃の挨拶
オバンデゴザリマス(富山)、オバンニナリヤシタ(静岡)、オバンニナッタナシ(山形)、オバンデゴザンス(岩手県)、オツカレ(甲州)
訪問時の挨拶
オンナハンモウスカ(肥後球磨)、オルカヲ(日向椎葉)、ウチナ(筑前博多)、アンタンデゴザイスカ(周防岩国)、オイデナハイ(福井県)、オデヤンシタカ(岩手県)、ゴメン(兵庫など)、オイロシ(長門下関)、ゴヨウシャオシツケラリマッセ(壱岐)、ゴシャメンナサイマセ(淡路)、オユルシナ(近江)、ゴリサイ、ゴイサレ(加賀)、オヨセテクダサイ(信州)、ゴメンネアセアンセ(陸中下閉伊)、オメントデガンス(東北地方)
夜の訪問挨拶
ヨイバンデゴザイマス(関東)
別れの挨拶
マタクルガノ(日向)、マタナ(豊前宇佐)、インマナ(伊予喜多郡)、マタキマショ(安芸倉橋島)、マタコズニ、マタヨ(静岡県一部)、コンドメヤ(佐渡)、マタアガりヤス(福島県耶麻郡)、マタキヤスベ(福島県石城郡)、マダクマッセア(岩手県平泉)、オミョウニチ(宮城県南部)、オアスウ(山形県米沢)
送り出す挨拶
ヨウユカンシ(佐渡)、カセデケヤ(陸中遠野)、タメライ(木曽)、オブエガ(土佐)、気をつけて、おしずかに
帰っていく客の挨拶
おやすみなさい、ダーツヤイモセ、ダーチー(薩摩甑島)、ダツヨ(肥前上五島)、ダッチョ、ダッチョナ(肥前下五島)、オイザト、オーザトウ(壱岐)、ザットヤー、オイザトナー(対馬)、ソレジャ、ソンナラバ、サヨウナラ、サラバ
色んな地方の挨拶言葉がまとめられていた。74年前はこのような挨拶言葉が各地で交わされていた。現在も、薄暗くなる頃の挨拶として、オバンデゴザリマス(富山)、オバンニナリヤシタ(静岡)、オバンニナッタナシ(山形)、オバンデゴザンス(岩手県)などと、当時と変わらず交わされていることを祈りたい。日本全国どこも同じ「こんばんは」では味気ないし悲しくなる。
74年前に書かれた本を下敷きにして言葉の変遷を見てきた。著者が現在の日本語を知ったら外国語が多用されていることに驚くだろう。驚くばかりでなく見苦しいと嘆くのではと思う。美しい日本語を次世代につなぐようにしなければと改めて思う。