朝、目を覚ますと、窓から日が差している。雨が上がった。久しぶりに、早朝ウオーキングに行くことにした。
今日のウオーキングはクラッシック音楽を聴きながらやろうと思い、ユーチューブを検索する。「誰もが聞いたことのあるクラッシックの定番名曲集」を見つけた。メドレーなのが良い。今日はゆっくり歩きながらクラッシック演奏会を一人で楽しむことにした。
バッハ「G線上のアリア」、エルガー「愛のあいさつ」、マスネ「歌劇(タイス)から瞑想曲」、リスト「愛の夢」、ショパン「ノクターン第2番変ホ長調」、ベートーベン「ピアノソナタ第8番ハ短調」、リスト「ラ・カンパネラ」、ドビュッシー「月の光」、ワーグナー「ワルキューレの騎行」、ショパン「幻想即興曲嬰ハ短調」、パッヘルベル「カノン」、ショパン「革命のエチュード」、ドヴォルザーク「新世界」、ホルスト「ジュピター」、エルガー「威風堂々」、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」ブラームス「ハンガリー舞曲」などを楽しむ1時間30分の演奏会であった。
私は数カ月前まではクラッシック音楽のフアンではなかった。私は演歌が好きだし、一番好きな歌手は亡くなられた森繁久弥さんである。むしろクラッシック音楽とは無縁であった。ところが数カ月前、たまたまクラッシック音楽を聴く機会があって、そのとき聞いた曲が、ずっとずっと昔に聞いた覚えがあり懐かしく思った。それからクラッシック音楽を聞きたいと思うようになり、最近はときどき聴いている。まだまだクラッシックの曲名も作曲家も知らないことが多い。
私は演歌も大好きだが、同時にクラッシック音楽も大好きになった。
ウオーキングコースの途中、伊王島教会が遠くに見える。いつも見慣れている情景だが、今日はバッハの「G線上のアリア」を聴きながら観ている。なぜか、いつもとは違って新鮮に見える。音楽が私のフィーリングを高めているのがわかる。心地よい曲を聴くと心が安らぐ。
昨夜来の雨で地面はまだ濡れている。ショパンの「革命のエチュード」を聴きながら
歩いて行く。この曲の、時代を写した強烈な音が私の魂を揺さぶる。その時代に生きた人の様々な思いがこの曲に溢れている
自然公園の野球場まで登ってきた。まだ、早いのでグランドで野球をやっている人は見ない。クラッシック演奏会はエルガーの「威風堂々」を演奏している。力が全身にみなぎってくるような心地よいメロディーが続く。
パッヘルベルの「カノン」を聴きながら小さな山道を進む。夏の陽射しは強い。降りそそぐ日の光が梢に遮られ白黒の陰影になり、あたかも光のシャワーとなり行先にスポットライトを当てている。「カノン」の曲のメロディーと光が共演しているみたいな錯覚を覚える。
左手に海を見ながら歩いて行く。演奏会はリストの「ラ・カンパネラ」が演奏されている。今日の海はどこまでも穏やかで静かである。海も「ラ・カンパネラ」のピアノの演奏に聞き入っているかのように静かである。美しいピアノの音がやさしく響く。
コース途中の家ではヤギが飼われている。いつもおとなしくしているのに、今朝はは私を見てメエーメエーと鳴く。また、別のところでは鳩が私の近くを歩き回る。先ほどのヤギもこの鳩もクラッシックのフアンかな?と思う。
今朝のウオーキングコースで出会った花は「ナデシコ」と「ペチュニア」である。陽射しが強くなっても負けないで花を咲かせ続けている。
今朝のクラッシック演奏会を聴きながらのウオーキングはとても楽しかった。今朝、聞いたこれらの曲は200年前、300年前に作られ、今日まで世界中の人々に愛され続け、共感されてきた曲であると考えるとすごい曲だなぁと思う。クラッシック音楽の楽しさをもっと早く気付けば良かったと今更ながら思う。これからも世界中の人々と同じように、クラッシック音楽をもっと楽しみたいと思う。
藤村の詩「琴、花、酒のあるものを とどまりたまえ旅人よ」という句を思い出す。人生はもっと豊かで、もっと楽しいということに気づかないまま、人生の旅路を歩み、通り過ぎようとしていたようだ。気づいてよかった。これからはもっともっと音楽、美術、芸術など人類が創造した様々な美を堪能したいと思う。