ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「戦後75年 世論調査」を見て思うこと

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太平洋戦争終戦から75年となるのを前に、日本世論調査会は「戦後75年間、日本が戦争をしなかった理由」などを問うた「戦後75年 世論調査」の結果を公表した。

 

「日本が戦後、戦争をしなかった主な理由」については、「憲法9条があったから」47%、「戦争の悲惨さを訴えてきたから」23%、「日米同盟があったから」14%、「豊かな国になったから」10%、「日本の外交力が優れていたから」1%、「その他など」5%であった。

 

「今後、戦争する可能性があるか」については、「大いにある、ある程度ある」合わせて32%、「あまりない、全くない」合わせて65%であった。

 

「今後の自衛隊のあり方はどのようにあるべきか」については、「専守防衛を厳守」76%、「憲法9条を改正し軍として明記すべき」17%であった。

 

日中戦争・太平洋戦争について、「日中戦争・太平洋戦争は侵略戦争であった」とした人は46%であった。

 

日中戦争・太平洋戦争の情報は何で知ったか」について、「学校の勉強や教科書で知った」41%、「親や祖父母から聞いた」23%、「報道」22%であった。年代別に見ると若年層の70%は「学校の勉強や教科書で知った」と回答した。

 

周辺国への謝罪に関して「十分行われてきた、ある程度行われてきた」と回答した人は合わせて84%を占めた。

 

国民が周辺国に反省や謝罪の気持ちを持つべきかどうかについて、「持つ必要がある」とした人は50%、「持つ必要はない」とした人は46%と拮抗している。(年代別に見ると、高齢層(60代以上)は55%が「必要」、若年層は52%が「必要ない」と回答した。)

 

私はこの世論調査の結果を見て、特に「国民が周辺国に反省や謝罪の気持ちを持つべきかどうかについて」の結果が拮抗していることを知って心配になった。

 

話は飛ぶが、先日、元経済産業相の官僚であった古賀茂明氏が書いた「終戦記念日に考えたい日本の罪」〈週刊朝日〉という記事を読んだ。

 

その記事の中で、古賀氏は、北海道東川町の公園に立つ「望郷」と題した遠くの空を望む青年の銅像の話を紹介していた。

銅像の碑文には「戦時中の国策として忠別川大雪山系石狩川の支流)に水力発電所が建設されたが、その発電用水は14キロメートルのトンネルで導水されるために水温が上昇せず、下流の水田に冷害をもたらした。水を回流させて温度を上げるために遊水池建設が計画され、工事のために1944年(昭和19年)9月に338名の中国人が強制連行された。(北海道の真冬に氷水の中での作業という)劣悪な環境下で過酷な労働が強要され、終戦までの11カ月間に88名が死亡した。大半は若人だった。異国の地で故郷の父母や親族のことを瞼にえがきながら斃れていったその無念さを思うと慙悸の念を禁じ得ない。この史実を後世に伝え、なお一層の日中友好の発展と永遠の世界平和を願い、88名の中国烈士の御霊に深甚なる祈りを込めてこの像を建立する。2000年7月7日 東川町長 山田孝夫」とあった。

 

「中国語訳と英語訳も並び、中国や世界の人々に、自分たちの犯した罪と恥を認め、「反省」と被害者への鎮魂、世界平和を祈る気持ちを伝えようとする感動的な内容である。」と古賀氏は綴っていた。

 

「戦後75年世論調査」によると、若年層の70%は戦争のことを「学校の勉強や教科書で知った」と答えている。若年者が「反省や謝罪の気持ちを持つ必要はない」と考える傾向は、歴史教科書から旧日本軍の加害行為や従軍慰安婦問題の記述が削られてきたことも関係しているのではないかと思う。

現在の義務教育では、旧日本軍の加害行為や他国の人々の人権を踏みにじってきた過去を学ぶ機会はほとんどないように思う。

歴史教科書の内容の変更は安倍首相の考え方と重なる。安倍首相は5年前の戦後70年談話で「戦争に関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と強調した。その結果、日本の未来を支える若人に日本の負の歴史を教えないような教科書作りになってきた。グローバリゼーションという社会で、世界の国々の人に交わって生きて行かざるを得ない日本の若い人に対して、このような偏狭な教育でいいのだろうかと疑問を感じる。本当にこのままでいいのだろうかと思う。

 

日本と同じように人権侵害を行った過去を持つドイツは、現在、世界で一番、自分たちの過去を悔い改め、そして勉強している国と世界から評価されている。ドイツの義務教育では「過去の克服」と呼ばれる一連の取り組みが行われている。これはナチの過去と正面から向き合い、ナチの間違った過去を次世代に確実に伝える取り組みで歴史教育の最重要課題に据えられている。ドイツの教科書には「ナチ独裁は過去のものであるが、我々の歴史の一部であることに変わりはない。歴史を作った人々、歴史に苦しんだ人々がいなくなっても歴史はそれとともに過ぎ去りはしない。・・・・・」と書かれ、負の歴史を直視する取り組みがなされている。日本もドイツと同様に人権侵害をしてきている。ドイツと同じようにしっかりと過去に向き合う必要があると私は思う。

 

平和を愛する世界の人々と信頼関係を基に、平和な国際関係を築いていくためには、日本国民として戦争の悲惨さをしっかり学び、東川町のように日本の負の歴史から目を背けず、過去の歴史に真正面から向き合うことが必要と思う。

 

東川町の銅像について、昔のことをわざわざほじくり出してと批判する人もあると聞くが、世界の人々とともに真に世界平和を築くためには、被害を与えた世界の人々に対して、過去のことであるが、日本国民として反省と謝罪の気持ちを持ち続けることは必要と思う。日本国民である限りそこからは逃げれない。だから、反省と謝罪の下に同じ誤ちは二度としないという覚悟で、世界の人々と接することしか友好の道はないと思う。ドイツに学びたいと思う。