ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「牛疫」を読む

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新型コロナウイルスが猛威をふるっている。新型コロナウイルス感染者が世界で2000万人を超え、死者は74万人に拡大している。今日の長崎新聞には新型コロナウイルスの感染禍は今後数十年に長期化するという予測もあり、人類は息の長い対応を迫られているという記事を載せていた。

 

東京オリンピックが1年延期になり、一年後のオリンピック開催に間に合うようにワクチンが開発されていると聞いていたが、仮にワクチンが開発されても、ワクチンの効果は長続きしないとし、感染症とワクチン作製の“いたちごっこ”が続くと専門家は予想しているようだ。今までのウイルスとの戦いの歴史を見てもそれに決着をつけるには相当な時間がどうしても必要という記事であった。

 

「牛疫(ぎゅうえき)」という本を読んだ。

牛疫は牛疫ウイルスが病原体の感染症で、数週間で牛の群れを壊滅させる疫病である。徹底的な検疫と殺処分しか防ぐ手段がなく、その出現以来、この疫病は全世界の人々に恐れられてきた。

歴史的には古くからある感染症で、約4000年前のエジプトの文書や旧約聖書にも登場するようだ。4世紀のローマ帝国の衰退は牛疫の感染拡大が引き金になったと言われている。18世紀のヨーロッパでの流行は約2億頭の牛が死亡した。また18世紀の流行は植民地主義を台頭させアフリカの植民地化を促進させた。牛疫の大流行は、社会的に多大な影響を与えている感染症である

 

人類はこれまで様々なウイルスに襲われてきた。それに対して、人類はウイルスの撲滅を目指して戦ってきた。現在までに人類が撲滅宣言をしたウイルスは2例あるらしい。

1つは1980年に撲滅宣言を行った天然痘ウイルスである。もう一つは、2011年に撲滅宣言が出されたヒト以外では初めてになるこの「牛疫ウイルス」に対してである。

人類は様々なウイルスとの戦いを続けてきたが、これまで撲滅宣言はわずか二例しかないことを思うとウイルスとの戦いは人類にとって永遠の戦いという思いがする。

 

この「牛疫」の本には、牛の致死的ウイルス感染症である「牛疫」との150年に渡る人類の戦いの軌跡が書かれていた。読み進んでいくと、当時深刻な感染症として全世界あげて牛疫のワクチン開発に取り組んでいた中、牛疫ウイルスのワクチン開発を最初に成し遂げたのは日本人である蠣崎千春博士であった。当時、日本は朝鮮併合で誕生した満州を経営していた。満洲アメリカ、オーストラリアに次ぐ世界第3位の牛の生産地であったが、家畜の病気の発生件数では世界一にランクされていた。様々な家畜の病気の中でも牛疫はもっとも厄介な病気の一つであった。1918年、満洲の研究所に派遣されていた蠣崎博士は世界で初めて牛疫ワクチンを作り上げた。1941年には、さらに汎用効果の高い新ワクチンが中村稕治博士によって開発された。

 

牛疫ウイルス撲滅のために、1918年に蠣崎博士によって初めてワクチンが開発され、1922年に発生した牛疫が複数国家にまたがる家畜伝染病対策体制を整備させ、国際獣医学会議、国際獣疫事務局 (OIE) を発足させる機会になった。その後も様々な国際協力を得て、さらに最新のワクチンを作り続けて、2011年に根絶宣言をするに至った。牛疫根絶の戦いは、国境を超えるウイルスとの戦いであり、国際的連携が推進される環境を作っていった。そのような取り組みの中、ワクチン開発に日本人科学者がパイオニアとして登場していたことを知って誇りに思う。

 

反面、ワクチン開発の成功は、恐るべきウイルスを制御可能にする力を人類にもたらすことになった。

人類の共通の敵であるウイルスを、人類が協力して根絶するために取り組む一方で、ワクチンの誕生は自国の牛を守りながら、ウイルスで他国の食料生産を攻撃できることを想像させた。一部の国々は第二次世界大戦中に生物兵器として軍事利用する研究を開始した。軍事利用の研究は、大規模な根絶キャンペーンの陰で続けられた。

「牛は、ミルクや肉として食料であり、畑での重要な労働力であり、牛の皮は衣服、靴に利用される。もしも牛がいなくなれば穀物は無くなるだろう、そして、穀物がなくなり、食料としての牛もいなくなれば人間もいなくなる。」

そのような考えから牛疫ウイルスを散布する計画が立てられた。日本も同様であった。風船爆弾としてアメリカ本土に牛疫ウイルスを散布する計画が立てられ実行寸前までいったが、もし実行した場合、これの反撃で日本の米が攻撃される可能性が高いということで中止になったと、この本では語っていた。

また、中国や満洲において、旧日本軍はペスト菌チフス菌の散布を実行して多くの被害者をだしている。

 

この「牛疫」の本の中で、日本は獲得した医学生物知識を使って、他国の人々の命を奪う生物兵器として軍事使用したことが書かれている。。科学の発展の裏で生物兵器として軍事利用した時代があったということをしっかり記憶に留めておこうと思う。日本が二度とそのような過ちを犯さないために、日本国憲法の平和主義を高く高く掲げていきたいと思う。そして二度と戦争をしない国であり続けたいと思う。