ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

サンデーモーニング 「風を読む」を見た

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75回目の「終戦の日」を迎えて、戦後生まれが、日本人の85%に達するなど、「戦争の現実」を語り継ぐ人々の数が年々減りつつある中、8月16日のサンデーモーニングは「風を読む」コーナーで先人たちが残した声に、改めて耳を傾ける企画を行った。

 

 

番組の中で、先人が語った言葉は以下の通りである

三島由紀夫

「僕は憲法9条ってのは全部いけないといっているんじゃないんです。つまり人類が戦争をしないということは立派なことですよ。」

 

野中広務官房長官

「私どもが経験したあの忌まわしい戦争の歴史が、再びわが国で繰り返されないように・・・・再びこの論議を通じた国会の審議が大政翼賛会のような形にならないように」

 

後藤田正晴元副総理

「歴史は、どこの国でもあり得るが、権力者が作り替えることがある。しかし、やはり事実に基礎を置いた正しい歴史認識をする。そして負の歴史について、それを繰り返さない教訓にして生きていく。そういう歴史観をもっていないと、国は永続しない」

 

中村哲医師

憲法9条は、もうあんなことは二度としたくないという、そのシンボル。その意味で憲法9条は、ひとつの民族の理想であり、それと同時に世界の人たちの理想であるわけですね」

 

日野原重明医師

「命を守るということについて、これほどしっかりと作られた憲法は、世の中のどこにもないので、人間の根本にかかわることは、憲法に書かれている。9条は憲法条項のうちで、最も中心になっています」

 

野坂昭如

「かつて戦争で多くの子どもが、ひどい目にあいました。何の責任もなくひどい目にあったのです。同じような愚を繰り返してしまうのはやめましょう」

「戦後の日本は平和国家だというが、たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった1日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない。ヒョイとあの時代に戻ってしまいそうな気がしてならない」

 

筑紫哲也

「私たちの国がさらに戦争がしやすい国に憲法を変えていく。そういうことに対してはよほど慎重に考えなければいけない」

「私にとって10歳までの少年時代は戦争に明け暮れていましたが、その後、戦争によって誰も殺さず、殺されていない。これは日本の近代史でも、あるいは今、よその国を見ましても例のないことであります。あの戦争のことを記憶し続けると言うことが、この平和を終わらせないことに繋がっていると私は思います」

終戦の日に思うことは、変わらないのは、あの戦争が二度と繰り返してはならない『国家的失敗』『国家的愚行』だという点。同じことを繰り返さないように努カすることができるのも私たちだし、そのために歴史からどんな教訓を汲み取るかも私たち次第なのです…」

 

私は先人の声を聞き、先人の思いを絶対裏切らない様にしなければと思った。私は生きてる限り、先人の声を指針として日本国憲法の平和主義を高く高く掲げて歩んでいきたいと思う。

 

そういう中、安倍晋三首相が15日の全国戦没者追悼式で述べた式辞には「歴史と向き合う」という趣旨の言葉がなかった。一方、今年は「積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面しているさまざまな課題の解決にこれまで以上に役割を果たす決意だ」と述べた。

 

安倍首相の式辞の中から「歴史と向き合う」という言葉が消滅したことは、後藤田正晴元副総理の「事実に基礎を置いた正しい歴史認識をする。そして負の歴史について、それを繰り返さない教訓にして生きていく。そういう歴史観をもっていないと、国は永続しない」という言葉が思い出され、この国の指導者が目指す方向に大きな不安を感じる。

さらに首相が掲げた「積極的平和主義」は、日米の軍事的一体化や、自衛隊の海外派遣の拡大路線を、正当化するための根拠として用いてきた言葉である。国際平和のため日本が軍事面でも貢献していくとの思惑で、第2次政権発足翌年の13年、国連総会で表明。国家安全保障の基本理念と位置づけ、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更や安全保障関連法制定を推し進め、憲法に基づく従来の平和主義を大きく変質させてきたものである。

 

ジャーナリストの志葉玲さんによると、安倍首相の「積極的平和主義」の使い方は、海外のメディアや研究者からは失笑のタネとなっているというニュースが届いている。

志葉さんの説明によると、

本来の意味での「積極的平和主義」は世界的に著名な平和学の研究家である、ヨハン・ガルトゥング博士が提唱した理念です。ガルトゥング博士は、戦争は起きていないが、貧困や抑圧、環境破壊などの「構造的暴力」が存在する状態を、「消極的平和」(Negative Peace)であるとし、これに対し戦争がなく、かつ「構造的暴力」も排された真に人々が平和である状態を「積極的平和」(Positive Peace)であると説きました。ですから、この意味での「積極的平和主義」というならば、この世界から戦争をなくし、かつ貧困や抑圧、環境破壊などの構造的暴力もなくしていくというものを指す言葉なのです。安倍首相が進めている、同盟関係にある国が行う戦争に積極的に加担していくというものは本来の「積極的平和主義」とは呼べないということであった。

 

築紫哲也さんはあの戦争は『国家的失敗』『国家的愚行』で、二度と同じことを繰り返さないように、その歴史から教訓を汲み取って欲しいと言った。

私は今、むのたけじさんの言葉を思い出す「戦争をやるときは敵国を欺くけど、自国民も二倍も三倍も欺く。戦争というのはウソをつかないとやれない、それが戦争なのです」と喝破している。

戦争と言わないで「聖戦」と言い、日本軍と呼ばずに「皇軍」と呼び、同盟国に加担する戦争参加を「積極的平和主義」と呼ぶのも同じだ。

指導者がウソを言いはじめたら戦争に近づくという教訓は決して忘れないようにと思う。