ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

新政権へ問うメディア支配

 

安倍晋三首相(党総裁)の後継を決める総裁選のニュースが賑わっている。そういう中、新政権に対する様々な質問がなされている。長崎新聞に、新政権に問う(メディア支配)というタイトルで「安倍政権のメディア私物化」をテーマにした専修大学教授の山田健太氏の評論が掲載された。

山田氏は評論の中で

「安倍政権の大きな特徴はメディア私物化であった。安倍政権のメディア私物化は政権批判を封じ込めるための施策と同時に、反対する勢力の言動を「偏向」「フェイク」として全否定する形の社会の分断に使われた

安倍政権のメディア私物化によって、新聞やテレビに対する一般市民からの強い批判が起こり、それとともに新聞やテレビなどのメディアと一般市民との距離が広がることとなった。メディア自体の政権批判力は弱くなり、それは政権を支える力として作用するということにもなった。

 

メディア私物化の具体的手法の第一は総務省を通じての行政指導の頻発であった。こうしたことが報道機関を萎縮させることになった。番組内容によっては放送局の電波停止をするとの総務相の姿勢の明確化や、民法不要論の提示などの強い報道圧力がなされた。合わせてNHKに対しては経営委員会や会長人事を通して番組内容にまで及ぶ強力な指導が見られた。

 

第二は徹底した異論封じである。安倍政権はメディアにおいて政府批判を認めないという姿勢を徹底した。特に、原発、国家安全保障という政府が考える国益の重要課題については、議論することすら抑え込むという姿勢を示した。それとともに、首相や官房長官の記者会についても厳しい制約を設けていった。また、意に従わない報道機関に対しては国会の場で個別の名をあげて攻撃したりするなど従来の政権にはない対応を取り続けた。

 

第三が徹底した峻別による私物化であった。特定の報道機関関係者との度重なる会食が話題になった。また、従来は輪番で行なっていた首相インタビューを親和性のある特定の報道機関のみ選別して行った。

 

こうした状況によって、本来知らされるべき情報が国民に届かないという事態が発生した。このような状況もたらしたのは、情報の出し手である政権に責任があることはもちろんであるが、一端は政権に対峙するメデイアの責任でもあり、政権の報道圧力などの情報コントロールを安易に受け入れた市民の側の責任でもある。

 

安倍政権によって一度狭まった自由を取り戻すことはたやすいことではないが、次の為政者の時代には聞くこと、言うこと、知ることが自由な社会にしなくてはいけない」と述べていた。

 

山田氏の評論を読んで、安倍政権のメディア私物化について、その責任は政権だけでなくメディアにも市民にもあるという指摘を受けて市民の一人としてうなだれるしかない。今後、市民として表現の自由の侵害についてはもっと厳しく真剣に対処しなければと思う。

 

 平成の時代を表すキャッチフレーズに「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉がある。安倍政権は政治の私物化を徹底した政権であった。まさにこのキャッチフレーズ「今だけ、金だけ、自分だけ」を実践した政権であったと思う。政治の私物化を元に政権運営していく時、基本的人権など邪魔でしょうがなかったろうと思う。言論の自由報道の自由などの表現の自由は煩わしくてしょうがないと思っただろう。

 

日本国は、日本国憲法の下に政治が行われるべきである。日本の政治は、日本国憲法の平和主義、国民主権基本的人権の尊重の3本の柱をしっかり踏まえた政治がなされるべきである。政権を担う人は、日本国憲法を遵守することを誓う人だけにして欲しいと強く思う。後継総裁候補の主張を聞いていると安倍政権を継承するという話が多く聞かれる。負の遺産を引き継ぐことがないようにと願うが、心配は尽きない。