ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「評伝 孫基禎」を読む

 

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評伝 孫基禎 著者寺島善一


「日本がカウントするオリンピック金メダルのうち、国内に存在する金メダルは一つ足りない。その一つは韓国にある。」と本の中に書かれていた。

 

1910年の韓国併合から1945年の日本敗戦までの35年間、日本は朝鮮半島を植民地支配した。朝鮮総督府による統治の下、朝鮮の人々の自治は許されず、憲法もなかった。朝鮮の人々は教育や官吏任用などで差別され、言論や思想信条の自由も奪われた。皇民化教育と創氏改名が推進された。強圧的統治が行わていた。

 

そのような状況の中、1936年ベルリンオリンピック大会が開催された。そのマラソン競技に日本統治下の朝鮮民族である孫基禎と南昇竜が日本代表として参加した。

ラソンは大会最終日に行われるオリンピックの華であり、その勝者はオリンピックの英雄として賞賛される。その栄誉を夢見て世界から参集した56名のランナーがスタートラインに立った。

1936年8月9日、午後3時、気温30度。午後の太陽が熱気を増していた。号砲一発、ランナーが一斉にスタートした。予想通り、前回のロスアンゼルス大会優勝者が飛び出して異様なハイペースでレースを引っ張る展開になった。孫基禎は前半は5位の位置を保ち走り続けた。後半、先頭集団がハイペースの影響で脱落し始めたら一気にスピードを上げて追い抜いていった。そして熱狂する10万人の大観衆の歓声が轟く中、42.195kmを堂々のオリンピック新記録でゴールした。「スタジアムは歓声のるつぼと化した。10万観衆はあたかも自分が優勝したかのように興奮して、万雷の拍手喝さいで孫基禎の勝利を祝福した」とある。

最終成績は以下の通りであった。

1位  孫基禎   2時間29分19秒(オリンピック新記録)   日本

2位 ハーパー 2時間31分23秒(オリンピック新記録)   英国

3位 南昇竜    2時間31分42秒                                      日本

 

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表彰台に立つ3人のランナー 左:南昇竜 中:孫基禎 右:ハーパー

3人の名前が大型スクリーンに映し出されて、スタジアムで表彰式が行われた。晴れの表彰式で、虚ろな表情で下を向き、日章旗を仰ぎ見ない孫基禎と南昇竜。孫基禎は次のようにその時の心情を書き残している

「優勝の表彰台で、ポールにはためく日章旗を眺めながら、『君が代』を耳にすることは耐えられない屈辱であった。私は思わず頭を垂れた。そして考えてみた。果たして私が日本の国民なのか?だとすれば、日本人の朝鮮同胞に対する虐待はいったい何を意味するのだ。私はつまるところ、日本人ではあり得ないのだ。日本人にはなれないのだ。私自身のため、そして圧政に呻吟する同胞のために走ったのだ。これからは二度と日章旗の下では走るまい。・・・・・・」

孫基禎の最小限の抵抗は、表彰式で与えられた月桂樹で、胸に付けられた日の丸を隠すことであった。後日、南昇竜から、「君は月桂樹で日の丸を隠せたから良かったが、自分は何も持ってないので困った。」と言われた。

「内鮮融和」「内鮮一体」のスローガンのもとに行なわ日韓併合であったが、植民地支配の内実に矛盾とやりきれない思いを深めていた二人であった。

 

1936年10月8日、孫基禎はソウルのヨイド空港に到着した。オリンピック勝者の凱旋帰国のはずであったが、あたりの雰囲気はまるで違った。空港内には多数の私服警官が配置され、孫基禎を遠巻きに包囲し、空港は閉鎖され出迎えの群衆を寄せつけなかった。飛行機を降りた孫基禎は右腕をサーベルを持った警官に、左腕を私服警官に捕まれて引率された。重要犯罪人を連行する様と同様であった。

これが日本で最初に、念願のオリンピックマラソンに優勝した孫基禎に対する仕打ちであった。もちろん、祝賀会、歓迎行事、級友たちの茶話会まで一切禁止された。

孫基禎の快挙が、植民地支配下で擦り込まれた朝鮮人は劣等民族という意識を粉砕し、朝鮮人自信を持たせ、独立運動を勢いづけるのではないかという恐れが、朝鮮総督府にあったのであろう。この監視と統制は日本の植民地支配が終了するまで続いた。

 

私は孫基禎を知らなかった。日本にこのようなオリンピックの歴史があったことを初めて知った。

2020オリンピック誘致で滝川クリステルが外国からのお客様に対して「おもてなし」という言葉を使っていたが、日本で外国の人に「おもてなし」という言葉を使うことができるか疑問に思う。

日本には現在でも、劣悪な状況下に置かれる外国人技能実習生問題や、韓国の人に対するヘイトスピーチなど外国人に対する偏見や差別問題が存在している。本当に豊潤な「多文化共生社会」を作り上げない限り、真の意味で心のこもった「おもてなし」などできはしない。

「評伝 孫基禎」を読み、事実を直視してより良き日本社会を作っていかなければと思う。