ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

高橋美穂さんのインタビュー記事

『「大坂なおみのマスク」に日本の多くの 選手が沈黙。高橋美穂「残念です」』

 

高橋美穂さんのインタビュー記事を見た。タイトルは上記の通りで、このタイトルだけ読むと高橋美穂さんが大坂なおみさんを「残念です」と批判しているようにも取れる表現なので驚いた。記事を読んでみると、大坂なおみさんのマスクを批判している記事ではなかった。

高橋美穂さんは元テコンドーの選手であり、選手を引退した後は全日本テコンドー協会理事などを勤められた方である。

 

先日、アメリカのタイム誌が「世界で、最も影響力のある100人」を発表した。日本からは大坂なおみさんと伊藤詩織さんが選ばれた。

記事はその大坂なおみさんが、9月に行われた全米オープンに警察や人種差別の暴力によって犠牲になった7人の名前をマスクに記して臨んだことに対して、複数のメディアの記者が日本のトップアスリートたちに「大坂なおみさんが取った行動をどう思いますか」と質問したところが、ほとんどの選手が無回答だった。是でもなく非でもなく沈黙だったということから始まる。

 

高橋美穂さんは、アスリートのこの無回答という結果をどう思いますかと記者から問われ、「それは残念ですね」と答えたものであった。

 

高橋美穂さんは、大坂なおみさんのことを聞かれて

大坂なおみさんのことをどう思うかと聞かれて、トップアスリートならば、言葉がないのではなくて、誰もが真剣に考えています。なぜならばオリンピアンならば、我々がスポーツをする意味、それは人権の問題の解決に向かうことだとしっかりと学んでいるからです。

 

 私が現役の頃にはなかったのですが、現在JOC主催でオリンピックの歴史や精神についての勉強会が行なわれています。午前中はオリンピアン精神について、それこそ古代の休戦協定の頃から学びます。OBやOGも積極的に参加しています。

 

 その研修の過程で絶対的に出てくるのが、人権、差別、平和についての講義です。オリンピックはいかなる差別をも許さない。FIFA国際サッカー連盟)もレイシズム(人種主義)へのゼロ・トレランス(不寛容)を打ち出しています。

 

 スポーツの本来の意義は他国の選手とメダルの数を争うのではなく、すべてのアスリートは差別や迫害と闘う。そして、オリンピアンにはスポーツとこのオリンピズムを普及させる社会的責任があると教わります。

 

  今、振り返ってみても大坂さんが発信したことは、いわゆる政治ではなく紛れもなくその人権に関しての大切なメッセージです。東京五輪は迫害を受けた難民のチームを出場させることを宣言しているわけで、それと同じ地平のことだと思います」と答えている。

 

日本のトップアスリートたちは言葉がないのではない。オリンピアンならば、おのずと答えは出ている。ではなぜ、日本のアスリートは声すらあげないのかということについて、

「私もスポーツ界を取り巻く同調圧力に、心を痛めています。選手たちも何をどこまで言えばいいのか、判断がつかないのだと思います。協会や所属の企業に属している以上、現在のネット社会においてトラブルを避ける傾向があります。特にトップアスリートは反響の大きさから黙ってしまう。」と高橋美穂さんは分析している。

 

高橋美穂さんは「それも含めて大坂なおみさんの自立の仕方はすごいと思います。大会の最中にも関わらず、自分の発言は自分で責任を取るという覚悟ですね。そして、大坂さんのスポンサー企業であるナイキも行動を称賛しました。それはナイキもまた企業として差別はNO!だという明確な姿勢を示したことになったと思います。。私自身、スポーツは平和を作るためにあると学んで来たし、差別をなくそうと競技団体が声を出し続けることは、結果としてスポーツを守ることに繋がると思います。」と語っていた。

 

先日から孫基禎さんの評伝を読んできて、当然といえば当然であるが、オリンピアンの社会的責任について、1936年のベルリンオリンピアンの孫基禎さんが話をしていたことと、全く同じことを1992年のバルセロナオリンピアンの高橋美穂さんがおっしゃっていることを知って嬉しくなった。希望の光を見たような思いがした。オリンピック精神は世界中に確実に伝えられ繋がっているのだと二人の話を聞いて思った。「差別を許さない、平和を求める」という声を大きくあげ続ける平和運動がオリンピックの意義ということを全世界の人々と共有したいと思う。