ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

姉の入院

 一週間前、「今度、大学病院に通院するから付き合って」という電話を姉からもらった。「いいよ。付き合うよ。ただ、その日の朝、どうしても外せない用事が一つあるのでそれを済ませてから行くよ。とりあえず病院には、タクシーで一人で行って受付しといて。10時までには病院に行くから、病院内で合流しよう」と約束をした。

 

当日10時に病院に到着して、姉の携帯に電話する「もしもし、今、病院に着いたよ。どこにいる?」姉の声で返事があると思っていたら、「もしもし、私はケアマネージャーの〇〇です。朝から具合が悪く一人で病院に行けないということで、私が通院に付き添っています。今、〇〇階の処置室で治療を受けています。」というケアマネージャーさんの返事があり驚いた。

 

ケアマネージャーさんの話によると、姉は2、3日前から体調が悪く、訪問看護を受けていた。ケアマネージャーさんはその連絡を受けていたので今日の通院は大丈夫だろうかと気になって、朝、姉の自宅に立ち寄った。姉は通院の準備をしていたが、苦しそうに喘ぎながら準備をしていた。少し動くと息がしずらい様子で、ゼーゼーと息切れし、休み休み休み動く状況だった。これでは一人で通院できないと思い付き添うことにした。タクシーで病院に到着して降りる時、「苦しくて歩けない。目もよく見えない」と言い出したので、病院の職員さんの手を借りて車から降りて、車椅子で処置室に運ばれ今検査とか処置をしてもらっているという話であった。

 

許可をもらって、処置室の姉を覗くと、意識はあるが元気のないか細い声で「胸が苦しい、目が良く見えないので顔がわからない」と言っていた。しばらくしたら、先生が様子を見に来られた。緩和治療を担当している〇〇ですと挨拶された先生は「胸が苦しいとか息苦しいとか言われていますのでそれに対して薬を変えながら様子を見ています。いま、新しい薬を使いましたので2時間くらいで改善すると思います」と言われた。

 

私は、処置室を出て室外で、姉の回復を待った。3時間後、処置室の看護婦さんから呼ばれて、姉と面会する。ベッドの近くに行くと、姉が「ありがとうね」と私に声をかける。先程までのか細い声と違って元気な声である。「胸は苦しくない?」と尋ねると「だいぶ楽になった。完全ではないけど息もしやすくなった。」と言った。その声を聞いて、私は、良かった回復したと安心した。

 

私は、今回の病状悪化は、前に服用した薬が姉の体質に合わないために起こったもので、姉の体質にあった薬が見つかって良かったと思った。姉の回復ぶりを見て、処置室での治療を終えたら、姉を自宅に連れて帰れるだろうと思っていたところ、看護婦さんから「入院することになりましたから、入院の手続きをしてください」と言われた。私は、入院まで必要かなと一瞬思ったが、家にいて再発したら怖いし、もうしばらくしっかり病院で見てもらった方が安心できると入院を喜んだ。

 

姉の入院手続きをして、姉の自宅に行き入院に必要な品物を取り揃え病院に戻ると、姉は処置室から病室に移動していた。ナースセンターに呼ばれ看護婦さんに「主治医からお話があります」ということで面談室に案内された。

そこで、主治医の先生から「現在の病状をお話しします。さらに癌が進行しています。癌性リンパ管症、リンパ節転移など進行しています。前にもお話ししましたが、以前からすでに肺がんは手術などはできない状態でしたが、それがさらに悪化している状態です。いつ何が起きてもおかしくない状態です。現状は基本的に看取りの段階です。今後、呼吸が悪化した場合、人工呼吸器とか、蘇生処置とかしても意味がありません。その時は自然に任せることになります。今回の入院で回復しても自宅に戻ることはできないと思います。回復しても他の病院、ホスピスに転院することになります。近しい方にご連絡ください。」

 

いよいよ最期の兄弟である姉を失う時が来たようだ。父、母は早く逝き。兄が逝き。弟が逝き。残された唯一の肉親である姉しか、親、兄弟を語る相手がいないのに、その姉を見送る時が来たようだ。自然の摂理とはいえ辛い