ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読む

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日本学術会議任命拒否を受けた加藤陽子教授の著書である『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んだ

この本は、日清戦争日露戦争第一次世界大戦満州事変・日中戦争、太平洋戦争という日本が近現代史で戦ってきた戦争の歴史を通して、高校生に行った日本近現代史の歴史の授業をまとめたものである。この授業の内容は単に時系列的に歴史を学ぶのではなく、加藤先生の深い知識を基にその時の国際環境、国内状況、国力比較、国際的力関係、友好関係、思想的対立、当時の様々な意見など多角的に要素を組み合わせながら授業を展開し、また生徒さんには、自分が当時の作戦計画の立案者としたらどう考えるか、当時の国民に立って反対か賛成かを考えたりしながら重層的な構成で進められていた。

この本を読んで、知らなかったことも多くあり興味深く拝読した。

 

陸軍に対する一般国民の意識

満州事変や日中戦争において、時の内閣が戦争不拡大方針であったにもかかわらず、それを無視して独断専行し、陸軍が暴走して戦争の拡大に進んでいったことは悔やまれるが、その陸軍は多くの国民の支持を集めていたことを知って驚いた。

当時の陸軍のパンフレットには、国防は「国家生成発展の基本的活力」と定義し、そして一番大事なのは国民生活と謳っていた。「国民生活の安定を図るを要し、就中、勤労民の生活保障、農山漁村の疲弊の救済は最も重要」と書かれていた。

 

時の政党である政友会や民政党などの既存の政党の選挙スローガンに農民救済や国民保険や労働政策の項目がなかったのに対して、陸軍のパンフレットでは、農民救済については義務教育の国庫負担、肥料販売の国営、農産物価格の維持、耕作権などの借地権保護を目指すなどが掲げられ、労働問題についは、労働組合法の制定、適正な労働争議調停などが掲げられてあった。

共産党以外の他の政党は有産階級の支持者によって作られた政党であり、無産階級の政策要望を掲げる政党は見られず、一般国民の多くは陸軍のスローガンに魅せられていた。これは当時の農村が、軍隊に入る兵士たちの最も重要な供給源であったことを踏まえたものであった。

戦争が始まれば、もちろん、このような陸軍が描いた美しいスローガンは絵に描いた餅になるわけだが、政治や社会を変革してくれる主体として陸軍に期待せざるをえない社会状況であったことに驚いた。

 

太平洋戦争において平和思想を唱えた軍人、水野廣徳

日清戦争以来、10年ごとに大きな戦争をやってきた日本であるが、それぞれ戦争に至る状況も戦争の目的も違う。ことに日中戦争、太平洋戦争は戦争目的がこれまでとは違うように思った。その太平洋戦争に対して、戦争は持久戦であり経済戦であり総力戦である。戦争が機械化し、工業化し、経済力化したる現代においては軍需原料の大部分を外国に仰ぐがごとき他力本願の国防は、あたかも外国の傭兵によって国を守ると同様、戦争国家としては致命的弱点を有せるものである。日本は国家の重要物質の八割を外国に依存する国である。人的資源も物的資源も備えが不十分で独自で賄えない日本は戦争に参加する資格のない国であると主張し戦争に反対した軍人がいた。海軍軍人の水野廣徳である。もちろん、その意見は弾圧されたが冷静に戦争の本質と戦争に突入したら負けると戦争の未来を予測した軍人がいたことを知って驚いた。

 

また、日中戦争および太平洋戦争において、中国の対日戦争戦略を知って驚いた。

それは中国外務官僚である胡適が1935年に書いた日本の未来予測と言うべき「日本切腹、中国介錯論」である。

「中国は、この先世界の強国になる国はアメリカとソ連と考える。アジアでの日本の横暴を制止できるのはアメリカとソ連しかいない。中国と日本の戦争にアメリカとソ連を巻き込むために、中国は日本との戦争を正面で受けて2〜3年間負け続けることが必要である。日本は、必ずアメリカとソ連が軍備を完成しないうちに、近いうちに中国に戦争を仕掛けてくる。そのことで中国は絶大な犠牲を覚悟しなければならない。第一に中国沿岸の港湾や長江の下流地域がすべて占領される。そのためには、日本は海軍を大動員せざるを得ない。第二に河北、山東、察哈爾、綏遠、河南は陥落し占領される。そのために、日本は陸軍を大動員せざるを得ない。第三に、長江が封鎖され、天津、上海も占領される。それによって日本は中国に利権を持つ欧米と衝突することになる。中国はこのような困難な状況下におかれても、戦い続けると2、3年以内に満州に駐在している日本軍が西方や南方に移動を余儀なくされる。その時、ソ連はつけ込む機会と判断し満州へ侵攻する。世界は中国に同情的である。南方においては英米および香港、フィリピンが切迫した脅威を感じ居留民と利益を守るため日本に反撃する。その時、太平洋で日米の戦端が開かれる。それまでの3〜4年間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。しかし、中国が長く耐えれば日本は疲弊し、その後の日本は多方面からの反撃に追い詰められていく。この戦争は日本の自滅のための戦争である。日本の武士は切腹でもって自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。いま、日本は全民族切腹の道を歩いている。上記の戦略は“日本切腹、中国介錯”という八文字にまとめられる」と胡適は述べている。

胡適先生が1935年に発表した「日本切腹、中国介錯論」の筋書き通り戦争は進み、1945年、日本は無条件降伏で敗戦を迎え幕を閉じた。適胡先生の洞察に感嘆する。

 

日本の海軍軍人水野大佐も、中国の外務官僚胡適氏も同じ未来が見えていた。日本は二度と同じ過ちを犯さないようにしてもらいたいと日本の未来を担う人たちにお願いしたい。そのために若い人には加藤陽子先生の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の本を勧めたい