ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「祝魂歌」を読む

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シュクコンカといったら結婚を祝う「祝婚歌」という字を連想するが、今回読んだのは魂を祝う「祝魂歌」である。「祝魂歌」は死に関する歌である。死のイメージは文化によって、時代によって、また個々人によってもさまざまであるが、この本では死は身体からの魂の解放と捉え、死は行き止まりでも終わりでもなく、体から解放された新たな魂の旅立ちと考え、魂の旅立ちを祝う詩を30編ほど集めアンソロジーとして編集したものである。

この本には古老による口承詩や日本の近代詩や現代詩それから外国の詩もいろんな時代地域にわたって選び取られている。声に出して読んでいて心が慰められる思いがした。

 

 

その中で心に残った詩を記す。

 

「今日は死ぬのにもってこいの日だ」(プエブロ族の古老  金崎寿夫訳)

今日は死ぬのにもってこいの日だ

生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。

すべての声が、わたしの中で合唱している

すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。

あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった

今日は死ぬのにもってこいの日だ

 

わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。

わたしの畑は、もう耕されることはない。

わたしの家は、笑い声に満ちている。

子どもたちは、うちに帰ってきた。

そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ

 

プエブロ族はアメリカ南西部の乾燥地帯に定住してトウモロコシを育てているアメリカインディアンの一族である。プエブロの古老のうたというのは、まじないのようなもので口から口へ伝えられてきた口承詩である。

 

プエブロ族の古老のうた「今日が死ぬのにもってこいの日だ」を口に出して読んだ。何度も何度も口に出して読んだ。この突き抜けた明るさは何だろう。この曇りのなさは何だろうと思った。死は突然前触れもなく訪れることもある、不慮の事故、事件に巻き込まれる死もある。死はどれも同じではないができるものなら、私もぜひこの心境で最期の日を迎えたいと思った。

 

この心境で最後を迎えたいと思うが「あらゆる悪い考えは、私から立ち去っていった」という一句が気になった。小人で煩悩にまみれているわたしは、最後まで悪い考えだらけかもしれない。私にとってちょっとこの部分は難関である。しかし、ぜひこの詩の心で最後の日をむかえるために努力したいと思う。

 

 

 

「電車の窓の外は」      高見 順

電車の窓の外は

光にみち   喜びにみち

いきいきといきづいている

この世ともうお別れかと思うと

見なれた景色が   急に新鮮に見えてきた

 

この世が

人間も自然も

幸福にみちみちている

だのに私は死なねばならぬ

だのにこの世は実にしあわせそうだ

それが私の心を悲しませないで

かえって私の悲しみを慰めてくれる

私の胸に感動があふれ

胸がつまって涙が

出そうになる

 

団地のアパートのひとつひとつの窓に

ふりそそぐ暖かい日ざし

楽しくさえずりながら飛び交うスズメの群

光る風  喜ぶ川面

微笑みのようなそのさざなみ

かなたの京浜工業地帯の

高い煙突から勢いよく立ちのぼるけむり

電車の窓から見えるこれらすべては

生命あるもののごとくに

生きている

力にみち

生命にかがやいて見える

線路脇の道を

足ばやに行く出勤の人たちよ

おはよう諸君

みんな元気で働いている

安心だ 君たちがいれば大丈夫だ

さようなら

あとを頼むぜ

じゃ元気でーーー

 

高見順氏1965年に58歳で亡くなった。癌であった。癌治療で通っていた川崎駅近辺の情景を歌ったものである。死期が迫っている中、若い時から通いなれた駅の様子を見て、生命のかがやきを見て順送りで次世代に感謝しあとを託している。氏のように穏やかに素直な気持ちで死を迎えたいと思う。

 

 

 

 

「柱時計」   淵上毛銭(本名:喬)

ぼくが

死んでからも

十二時がきたら   十二

鳴るのかい

苦労するなあ

まあいいや

しっかり鳴って

おくれ

 

淵上毛銭氏は1950年に35歳で亡くなった。毛銭は水俣出身の詩人である。東京の青山学院に進学するも脊髄カリエスを病んで中退、帰郷。以後寝たきりの生活の中、病床で詩を書いた。「柱時計」は代表作の一つであり、死期が迫る中、この詩を書いた。この詩を読むと、自分の才能など十分発揮できないまま人生を終わらなければならないという諦めきれない気持ちを感じる。悔しかっただろうと思う。しかし、毛銭はそれを超越して生きた。そして死んだ。私も若き毛銭が生きたように穏やかに最後を迎えたい。