ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

梅を見に行く

 新型コロナ感染防止のためステイホームが続いている。今日の天気は晴れ。「密にならないところを少し散歩したいけど、どこか適当なところはない?」と連れ合いが私に聞く。「そうだね。梅を見に行こう。ちょうど見頃だと思うよ。」と梅見に出かけることにした。今日の観梅場所は梅園身代り天満宮である

 

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梅園身代り天満宮

この天満宮は、元禄13年(1700)創建の丸山町の氏神様で、昔から“身代り天神”と呼ばれ親しまれてきた。“身代り”と呼ばれるのは、創建者の安田次右衛門が、ある夜何者かに襲われ左脇腹を槍で刺され倒れたがどこにも傷がなく、その代わりに自邸の祠の天神像が左脇腹から血を流していたことによるのだという。また、丸山の遊女達も身代を“みだい”と呼び、自分の生活に苦労がないことを願って参拝したといわれている。

 

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左:梅園身代天満宮社号標柱と参道 右:「小説長崎ぶらぶら節」記念碑

天満宮は丸山町にある。丸山はその昔、日本三大花街の一つに数えられるほど賑わった場所である。特に江戸時代、海外貿易の発展で栄華を極め、坂本龍馬はじめ多くの知名士がこの地を訪れている。その丸山を通って梅園身代り天満宮へ向かう。路地の入り口に「梅園身代天満宮」という社号標柱を発見。ここから参道が始まるようだ。参道を進むとと天満宮の鳥居とともに、なかにし礼さん直筆の「小説 長崎ぶらぶら節」の石碑が建っている。ここ天満宮は、なかにし礼さんが書いた「小説長崎ぶらぶら節」の舞台でもある。

 

 

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梅園という名前の通りお宮は梅の木に取り囲まれている。第一の鳥居、第二の鳥居を通りながらまわりを見渡すとあちこちに梅の花が咲いている。花に惹かれて右往左往していて、ふと足元を見るとお叱りの言葉が目に入った。「お参りが先、観るは後」、思わず「失礼しました」と心でお詫びしてお参りする。

 

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参拝をしたあとは、ゆっくり梅を見て楽しむ。色とりどりの梅の花を楽しむ。俳句一句「青空を背に白梅咲き誇る」川柳一句「コロナ禍に梅三密を気にしない」

 

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梅園身代り天満宮の社殿の前の片方の狛犬は口の中に沢山の飴を含んでいる。説明文を読んで納得した。この狛犬は「歯痛狛犬」と呼び、昔から狛犬様に願をかけると必ず叶えてくださるということで多くの人々に親しまれている。特に、歯の痛みがある者が狛犬様の口に水飴を含ませるとたちどころに痛みを取ってくださると伝えられているため、当時は日本各地から参拝者が訪れたという説明書きがあった。現在でも参拝客によって口の中に飴が詰められている。

 

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こちらの神牛は「ボケ封じ撫で牛」である。こちらの神牛を撫でるとボケ封じができると言われている。認知症に脅かされる高齢者の味方と言われる神牛である。この話を聞いていたのに今日はすっかり忘れて、「撫で牛」するのを忘れてしまった。ボケが確実にやってきているようだ。近日中にまた、梅園身代り天満宮にお参りして「ボケ封じ撫で牛」を撫でてボケ封じをお願いしなければと思う。

 

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梅見の一日を堪能して帰路につく。帰りは途中にある丸山公園の坂本龍馬の像に会って帰る。坂本竜馬1864年勝海舟に同行して長崎に初来崎した。その後1867年に亡くなる3年間の間にたびたび長崎に来崎し滞在し倒幕運動に奔走した。この像は残っている竜馬の写真を参考に作られたようで、懐中時計、ピストル、ブーツなどが描かれている。街を歩くときはピストルは見えないようにしていただろうが、このような姿で長崎の街を闊歩していたのかもしれない。

久しぶりに外歩きをした。梅園身代り天満宮は小さな神社なので、たくさんの人が押し寄せていたらどうしようと思っていたが、混み合うことはなかった。それでも、梅を愛でる人が必ず来ていると思った通り、梅を愛する人が何人か訪ねていた。毎年、毎年、こうして時期が来たら梅に会えるのが嬉しい。今年も梅に会えたことを感謝したい気持ちになった。コロナ禍であるが楽しい一日となった。