ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

地震とデマ

ネットニュースで以下の記事を読んだ。

「2月13日深夜に福島県宮城県震度6強を記録した地震に関連して、またも差別的な発言やデマ、不確実な情報がツイッターやユーチューブなどで飛び交った。災害のたびに同じような現象が起きている。今回の地震の直後からツイッターで目立った差別的なデマは「朝鮮人」や「黒人」などが「井戸に毒を投げている」というものだ。1923年の関東大震災では「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「暴動を起こした」などのデマが流れたが、それをまねたとみられる。当時はそのデマを真に受けた市民らによる朝鮮半島出身者らへの虐殺事件が各地で起きた。

 

上記の朝鮮人虐殺事件は大正12年(1923年)の関東大地震の直後、「朝鮮人が暴動を企てている」「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「朝鮮人が放火、強盗」などのデマが乱れ飛び、軍隊、警察、自警団が朝鮮人とみるや片っぱしから殺し、犠牲者は6千人にも上ったといわれている事件である。

 

この虐殺事件の背景として、関東地方が壊滅的な被害を被り民心と社会秩序がひどい混乱に陥ったことを受けて内務省戒厳令を宣告し、各地の警察署に治安維持に最善を尽くすことを指示した。そのとき、内務省が各地の警察署に下達した文章の中に「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という一文があった。この内容が行政機関や新聞、民衆を通して広まり、それを下地にしてデマがデマを呼び、それに呼応して各町内会で日本刀、猟銃、竹やり、木刀、とび口などで武装した自警団が組織され、朝鮮人を見つけ次第殺すという事件がいたるところで発生することにつながったと考えられている。

 

そのような陰惨な狂気が支配した中で、300人の朝鮮人の命を守り抜いた人がいた。大川常吉氏である。

当時、横浜市鶴見警察署の署長の職にあった大川常吉氏は、震災後、300名以上の朝鮮人を警察署に保護していた。千人を超える民衆が「朝鮮人を殺せ」と叫びながら警察署に押しかけた。彼らは警察署を包囲し朝鮮人を渡せと要求した。代表者との話し合いで「朝鮮人が毒を入れたことはデマだ。朝鮮人が毒を入れた井戸の水を持ってこい。私が諸君の前でそれを飲む。異常があれば朝鮮人を諸君に引き渡す。異常がなければ私にあずけよ」と言って井戸の水を飲んだ。また、「収容している朝鮮人が逃げた場合どのように責任を取るか」と聞かれ「その時は切腹して責任をとる」と答えた。それでも「朝鮮人に味方する警察など叩き潰せ」と叫びながら暴徒化の気配を濃くしていた群衆の前に立って、「君らがそれまでこの大川を信頼せず、言うことを聞かないのなら、もはや是非もない。朝鮮人を殺す前にまずこの大川を殺せ」言って乱入しようとする暴徒の前に立ち塞がった。身命を賭けた大川署長の態度に群衆も威圧されて鳴りをひそめた。

 

朝鮮人だろうと日本人だろうと、どこの国の人間だろうと人の生命に変わりはない。人の生命を守るのが私の仕事だからと言いきり、体を張ってまで任務を果たした大川署長の行動を日本人として誇りに思う。

 

大川常吉氏の死を賭した行為を称え、朝鮮の人たちが感謝の石碑を建てた

故大川常吉氏之碑

関東大震災当時、流言飛語により激昂した一部暴民が鶴見に住む朝鮮人を虐殺しようとする危機に際し、当時鶴見警察署長故大川常吉氏は死を賭してその非を強く戒め300余名の生命を救護したことは誠に美徳である故、私達はここに故人の冥福を祈り、其の徳を永久に讃揚する。

                 1953年3月21日

在日朝鮮統一民主戦線 鶴見委員会

 

大川署長の逸話は韓国でも感動を呼んだ。この話を知ったソウルの病院長が、「ぜひ職員の前で大川さんの話をしてほしい。子孫にもお礼をしたい」と記者に頼み、大川常吉さんのお孫さん(豊さん)を連れだってソウルに飛んだ。

豊さんは、祖父の行動が持ち上げられることに違和感を覚え続けていた。病院職員に、その思いを率直に伝えた。

「当時、日本人が韓国朝鮮の方にあまりにひどいことをしたため、当たり前のことが美談になってしまった。だから私が日本人としてみなさんに申し上げる言葉は、これしかない。『ミアナムニダ』(ごめんなさい)」

会場は大きな拍手に包まれた。当初、韓国の人たちがどのような反応をするか怖かったという豊さんだが、温かく迎えられ、「受け入れられた」と実感できたという。

 

今も、大川常吉氏の死を賭した行為が語り継がれ、日本と韓国の友好の輪を広げている。改めて大川常吉氏の行為に日本人として感謝し、その行為を誇りにしたいと思う。そして、豊さんが言われるように大川常吉氏が職責上行った当たり前の行為が美談になったことを日本人として恥ずかしいと思う。

 

朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」約100年前の地震で流されたデマが、今も同じ文句で流される。偏狭なナショナリズムに毒された人間はいつの時代にも存在するのだということを今日のデマから学ぶことができる。日本人として悲しいけど事実だ。

デマを流す人がいる反面、デマに惑わされることなく人間としての「尊厳」「品性」「誇り」を示す人がいた。大川常吉さんに学びたいと思う

(注:大川常吉氏の記事は、朴慶南著「ぽっかり月が出ましたら」から引用)