先日の長崎新聞に金比羅神社の新緑の写真が掲載された。金比羅神社は金比羅山にある神社である。金比羅神社は紅葉スポットで秋に紅葉狩りに行くことがあるが、新緑シーズンに行ったことはない。新緑の金比羅神社の雰囲気を味わいたいと思い、出かけることにした。
金比羅山は長崎市内にある標高366mの低い山である。中腹まで車で行けるのでそこから山頂まで気軽にウオーキングできる。市民に親しまれている山である。駐車場が標高約160mだから山頂までは高度差約200mである。金比羅神社は標高約260mなのでほぼ山頂までの中間地点に位置していることになる。
駐車場を出発してすぐに金比羅神社一の鳥居に着く。古い石積みの階段の先に鳥居があり、その先には倉庫みたいな建物が道を半分くらい塞いでいる。その倉庫の横を過ぎて進むと長崎金星観測碑の案内板が立っている。金比羅山は明治7年にフランス隊が金星観測をした場所として有名な山でもある。
舗装された細い道路に沿って上っていく。道路脇にはツツジが見事に咲き誇っている。ツツジを見ながらゆっくり上っていくと遠くに「彦山(ひこさん)」が見えてくる。江戸時代から長崎では正月に七高山巡りという長崎市街を囲む七つの山を巡る習慣がある。金比羅山も彦山もその対象となる山である。昔の人は一日で七高山巡りをしていたようだが、いくら低山とはいえ一日で七つの山を巡るのは現在の私にとっては不可能に近い。
彦山を眺めながら上ってくるとニノ鳥居に到着する。かなり古い鳥居みたいなので建立年代を読むが判読できない。ニノ鳥居に来ると一気に緑が濃くなる。
二ノ鳥居を過ぎてさらに上っていくと常夜灯が目に入る。そしてその先に三ノ鳥居が見えてきた。三の鳥居の高度は260m金比羅神社到着である。金比羅神社の周りはことの外新緑が美しいと長崎新聞に書かれていたので楽しみである。
「金比羅神社は、もともと嵯峨天皇の弘仁年間(820年)に神宮寺がこの地に建立され、無凡山神宮寺と呼ばれていた。また宝永2年金比羅大権現を勧請したことにより、明治維新になって金比羅神社と改称され現在に至っている」と案内板にある。新緑に包まれると楽しい気分になる。
一面緑に包まれてその中に立つと、生命の息吹に触れるような思いがする。社殿の前に置かれている狛犬さんも寒い冬から新緑の季節になりホッとしているような喜んでいるような感じがする。
今日の主たる目的は金比羅神社の新緑である。その新緑を十分に堪能して目的は達成したが、ここまできたら金比羅山の山頂を目指すことにする。これからさらに100m上る。上って行きながら。いつものようにドンク岩を横目に見ながら上っていく。ドンクというのは長崎弁でカエルのことである。なんとなくカエルに似ているので昔からそう呼ばれている。
ゆっくり、ゆっくり登りながら、金比羅山頂上に到着。頂上にも鳥居が建っている。今までの鳥居は「金比羅神社」であったが、頂上の鳥居は「金比羅大神」という名称になっている。頂上からの展望は北側を除いて東、南、西の3方向は良好である。
東方面に目をやると、眼下に西山高部水源地が見える。ここは長崎の水瓶である。南を見ると長崎港が見える。昔、長崎に入港する南蛮船などは、ここ金比羅山を目印にして入港していたのではないかと思う。金比羅山から港の外までよく見通せる。
西を見ると浦上方面が見える。浦上方面は原爆投下地点である。あの日、長崎は曇りであった。原爆を積んだB29は長崎上空にきたが、当時、長崎上空は雲がかかっていて原爆投下を諦めかけたとき、たまたま雲の切れ目ができ、そこから原爆を投下した。そこが浦上だった。一瞬にして、何万人という人の命がなくなってしまった。
今日という平和な1日を本当に有難いと思う。生命の躍動に溢れるような新緑に触れて、原爆投下地点を眺め、75年前長崎で起こったことを考える。私はあらためて、人類は被爆地長崎を世界で最後の被爆地にしなければならないと思う。二度と繰り返してはならないと心に思いながら下山した。