ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「劣化するオッサン社会の処方箋」を読む

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先日、山口周氏の「これからどういう人が活躍するの?」というタイトルの講演を聴いた。その講演は未来を見据えて、若い人に向けて行われたものであった。今回、山口氏が中高年世代に向けて発信した「劣化するオッサン社会の処方箋」を読んだ。読んで、この本に登場する劣化したオッサンの言動を他山の石として己を律して行かねばと思った。また、この本の最後に山口氏がオッサンに送ったエールは、自分に送られたものとして捉えたいと思った。

本書ではオッサンの定義を、中高年の男性を指す一般名詞の「オジサン」という人々の一群をいうのではなく、ある種の行動様式・思考様式を持った「特定の人物像」として定義している。だから年齢に関係なくある種の行動様式・思考様式を持った人は若くてもオッサンになる。
特定の人物像の要件としては以下の4つである。
1 古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する人
2 過去の成功体験に執着し、既得権益を手離さない人
3 階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る人
4 よそ者や異質の者に不寛容で、排他的な人

現在、「オッサン」と呼ばれる世代に生きているので、この本を恐る恐る読み始めたが、このオッサンの定義を見て、自分は、ここの「オッサン」に該当しないのではと思った。
特に2番の「過去の成功体験に執着し、既得権益を手離さない」については、成功体験というものはほとんどないし、既得権益というものを持っていないから完全に無関係のようだ。3番の「階層序列意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る」も自分的には問題ないと思う。過去に組織に属したことはあるが、その時には組織の秩序を保つために階層序列に気を配ることはあったが、階層序列と人間の価値は別という意識を持っているので目下の者を軽く見ることはない。4番の「よそ者や異質の者に不寛容で、排他的」という点についても、開放的な考え方を基本としているので自分的には問題ないと思った。少し心配なのは、1番の「古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する」ことである。自分で気づかないうちに、無意識に古い価値観に凝り固まった行動をしていないだろうかとここだけ少し心配になった。その気持ちを引きづりながらこの本を読み進めた。

この本は2018年に書かれた本なのでオッサンの劣化を表す不祥事として次のような事例が上がっていた
○ 日大アメフト部監督による暴行指示と事件発覚後の雲隠れ
財務省事務次官や狛江市市長など高位役職者によるセクハラ
○ 神戸市や横浜市教育委員会によるいじめ調査結果の隠蔽
財務省による森・加計問題に関する情報の改竄・隠蔽
○ 大手メーカーによる度重なる偽装・粉飾・改竄
日本ボクシング連盟会長による助成金の不正使用と暴力団交友

そのような劣化したオッサンをトップに仰ぎ、劣化したオッサンのもとで納得できない仕事を押し付けられている立場にある人は「オピニオン」と「エグジット」という武器を意識してほしいと書かれていた。「オピニオン」というのは、おかしいと思うことについてはおかしいと意見をすること。「エグジット」というのは権力者の影響下から脱出することである。

一連の不祥事を起こした企業、役所に身を置きながら、「オピニオン」も「エグジット」もしないということはこれらの不祥事に自分もまた加担し、それらを主導した劣化したオッサン権力者を支持していることと同じであると書かれていた。
さらに、「上司に意見などしたら職場で居場所がなくなる」「転職できるだけのスキルも専門性もない」と言って、妥協を自らに許して、ダラダラと無為な人生を送るといつの間にか道徳感は麻痺していき、最後は、魂が死んだゾンビのようなオッサンになると警告していた。

劣化したオッサンは突然、誕生するのではない。ワクワクする仕事を追求することもなく、組織から与えられる理不尽さに対して何年も何十年も妥協に妥協を重ねてきた結果として、生み出されているのが劣化したオッサンである。つまり、劣化したオッサンのもとで意見も脱出も行使しないで、ただダラダラと理想もなく生きていけば将来、間違いなく自分が劣化したオッサンになる。オピニオンとエグジットを行使しない限り「劣化したオッサンによる劣化したオッサンの拡大再生産」という悪夢のようなプロセスが延々と繰り返されることになると断言していた。

内閣人事局が昨年度の20代キャリア官僚の自己都合退職者が6年前の4倍に増加したとの調査結果を公表した。退職理由としては「自己成長できる魅力的な仕事につきたい」との回答が半数を超え、さらに30歳未満のキャリア職のうち、数年以内に退職を考えていると答えた官僚は男性で15%、女性で10%もいたという事であった。霞ヶ関の危機として長時間労働の改善など検討されているようであるが、問題は森友・加計問題のように改竄・隠蔽を忖度という言葉で押し付けられることに嫌気してエグジットしているのではないかと思った。山口氏の提言は現実に日本社会で実践されているのだと感じた。

劣化したオッサンの現状とそれに対抗する若い人へのアドバイスが続いていたが、最後にオッサンにもエールを送りますということで「オッサンが輝かないと社会は良くならない」と強調していた。
人生において青春は素晴らしい。しかし、「青春」を過ぎると人生が終末に向けてただ下降線をたどっていくだけのものであったら、当の「青春」ですら明るいものでなくなってしまう。人生が100年になんなんとする時代にあって、青春同様に壮年であっても老年であっても輝いて欲しいと述べていた。

「どうすれば輝けるか」については学び直しで再出発をするということが書かれていた。学び直しが若さを保つ秘訣であるということは理解できる。私も何にでも好奇心を示して貪欲に死ぬまで学び続けようと思う。

本書の最後にサミュエル・ウルマンの「青春」の詩が載せられていた。その中に「歳を重ねただけで人は老いない。理想を失う時、人は老いる」とある。

私はこれからも理想を求めて生きたいと思う。