ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

サンデーモーニング「言葉の持つ力」を見た

6月20日サンデーモーニングの“風を読む”コーナーで「言葉の持つ力」というタイトルで最近の政治家の言葉に焦点を当てていた。連日、政治のリーダーなどが発している多くの言葉が、今ひとつ人々の心に響かないのはなぜなのだろうかという疑問である。

大きな影響力を持つ政治家の言葉は社会に大きな意味を持つ。その政治家が意見をやり取りして議論を深める国会の場で今、異変が起こっているとして5月10日の立憲民主党山井和則議員と菅首相との質疑応答を例にあげていた。

山井議員が「ステージ3の感染急増、あるいはステージ4の感染爆発そういう状況でもオリンピック・パラリンピック、これは開催されるんですか」と菅首相に何度も表現を変えつつ問いただしたことに対して、菅首相は問われても、何ひとつ明確に答えず、答えにならないことを、ダラダラと答えていたことを問題にしていた。この不誠実な答弁を法政大学の上西充子教授は童謡「ヤギさんゆうびん」にある“しろやぎさんからお手紙ついた くろやぎさんたら読まずに食べた”という童謡の読まれることなく交わされる手紙(中身を理解していない)ことと菅首相の質問をよく理解しないで回答にならない回答をする姿勢をもじって「ヤギさん答弁」と名付けている。この菅首相の「ヤギさん答弁」は絶対に答えないぞという強い意志のもとに答弁しているのかそれとも質問の内容がわかってないのか判別できず不安にさせる答弁であるとも指摘している。

司会の関口宏さんは、政治家の発言は「キッパリ、シッカリ、ハッキリ」が必要というが、質問に答える政治家からそのような「キッパリ、シッカリ、ハッキリ」の発言を最近は聞いたことがないというようなことを言っていた。


毎日新聞の政治部記者与良正男氏は、現在の政治について、一体どこが「当たり前の政治」なのだろう。通常国会が16日閉会した。新型コロナウイルス対策や、東京オリンピックの開催問題等々、議論すべきテーマが山積しているのに、なぜ閉じるのか。要するに菅義偉首相や自民、公明両党は、議論そのものをしたくないのである。国会は与野党の質疑を通じて首相ら政府の考えを国民に知らせる場でもある。ところが菅首相はまともに質問に答えられない。答弁するほど国民に不満と不安が高まるから損だと与党は考えているのだ。こうして安倍晋三前首相以来の「国会軽視=与党の審議拒否」はますます深刻になってきていると真剣に議論をしない政治家によって政治家の言葉の劣化が進み代議制民主主義の危機にまで至っていると述べている。それを踏まえて、答弁するほど不満や不安が高まるからまともに答弁するのは損と考えて議論をしない「ヤギさん答弁」に徹しているのだろうと推測していた。

この「ヤギさん答弁」も「朝ごはん論法」も議論から逃げる、まともに議論をしない姿勢から生まれた話法である。安倍政権時代から本来は議論の専門家であるべき政治家が議論から逃げ回り、さらに政治家の言葉が劣化して民主主義の危機とまで呼ばれる状況に陥っている。

この状況に対して元法政大学総長の田中裕子先生は私たち国民が政治家の言葉にもっと注意を向けなければならない。国会での政治家の質疑応答の発言に国民がもっと関心を持って聞かないといけない。政治浄化は国民が政治家の発言に注意を向けることから始まると話されていた。

又、コメンテーターの涌井雅之氏は、日本の政治家の発言が劣化していることは、日本の政治家のレベルの低さを表している。政治家としての哲学を持って語ってほしいと、南アフリカ共和国の第8代大統領であるネルソン・マンデラ氏を例に挙げて語っていた。

TBS報道キャスター松原耕二氏は、現在の政治家の発言力の低下は深刻な状況にある。しかも政治家だけでなく官僚も記憶にございませんなどとバレない限り平気で虚偽答弁を繰り返すなど国会軽視が甚だしい。政治家も官僚も国会という場で答えない、議論をしない、問題を直視しないなど現在の状態は国家として危機的状況と言ってよい。政治家の言葉の貧困は国家の根幹に関わる問題と思うと語っていた。

 

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各コメンテーターのお話を聞いて、議論が成立しない日本の状況から私は「バベルの塔」を思い出した。
バベルの塔」は旧約聖書の創世記にある伝説上の塔である。ノアの大洪水ののち、生き残った人類はバビロンの地に住み「天に達するほどの高塔を建てて、俺たちの名を世界中に轟かせてやろうではないか」ということになった。人々はあらゆる努力と労力をつぎ込んで作業にかかり、塔は雲の高さを超え、遠い天を目指してさらに高く築かれていった。それと同時に、人々の心には、「神に代わってこの世を支配してやろう」という欲望が高まった。そのような傲慢な態度に神が怒り、それまで一つであった人間の言葉を混乱させて互いに通じないようにした。レンガをよこせと言うのに金槌を差し出し、釘を持ってこいと言うのに水を運んでいくような食い違いが起こった。これでは塔づくりの仕事が進むはずはない。天まで登ろうとした人間の企ては途中で崩れてしまい、工事を続けることができず失敗し、各地に散っていったという物語が伝わっている。

このまま、国権の最高機関である国会の場で話が通じない、議論が噛み合わない事態が続けば日本国は間違いなくバベルの塔と同じように崩壊するだろう。そうならないためにもう一度、住民も政治家も自分の言葉に全体重をかけて自分の責任を負って語ることをしなければならないと思う。