ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「初めての韓国語講座」終了

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「韓国語、初歩の初歩」という教科書を使った韓国語講座が終了した。この講座は毎週金曜日の午前10時から12時までの2時間、5回に渡って行われた春の公民館講座である。春の公民館講座であるが、コロナ感染拡大のため公民館が休業を余儀なくされ、開講が遅れ、春の講座が夏の講座みたいになってしまった。講師の先生は中国吉林省延辺朝鮮自治州出身の中国人の方であった。最初、講師の自己紹介で中国人とお聞きして、どうして韓国語講座の講師が中国人の方なのだろうと思った。

先生の話では、「私は中国人ですが、朝鮮自治州出身の中国人です。私の出身地では言葉は韓国語を使います。中国は広いです。多くの少数民族があり、私はその少数民族の出身です。中国人ですが、中国語はあまりうまくありません(謙遜と思う)。」と自己紹介された。

私は、先生の自己紹介の話を聞きながら、日本による韓国併合時代のことを思いだした。「日本は韓国併合によって韓国を植民地化し満洲国を作った。日本は、当時多くの韓国人が農業などをして暮らしていた土地を没収して満州国を作った。農地を没収された韓国人は中国へ逃れた」ということであった。現在の中国朝鮮自治州に住む人達はそのような経緯を経て中国に移り住んだ人もいるというような話を聞いたことがある。先生の先祖はどのような経緯で朝鮮自治州に住んでいるのかわからないが、朝鮮自治州はその満州国に接した地域である。

受講者は、全部で14名で女性が多く、受講者の年齢は18歳から70歳まで幅広い層が韓国語講座に参加していた。講座受講動機は、韓国が好きだから、韓国ドラマにはまって韓国に興味を持ったから、韓国料理が好きだから、韓国旅行をするからなどさまざまであるが、韓国が好きというのが共通してあるように思った。

「はじめての韓国語講座」を受講して、当初、全く意味のない記号にしか見えなかったハングルの文字の説明を受け、仕組みを丁寧に教えてもらいながら少しづつ理解していった。仕組みが分かると、なるほどと思うことが多く見られ、さらに興味が湧いてきた。そして韓国語であるハングルの勉強が楽しくなってきた。そのように少し韓国語がわかりかけて、楽しくなり始めたところで最終回の5回目を迎え、韓国語講座が終了した。

終了したところで、公民館の方からお話があった。『「はじめての韓国語講座」いかがでしたでしょうか?今回の公民館講座はこれで終了しますが、これからさらに韓国語を学びたいと思う方はいませんか。もし、そのような方がおられたら、クラブとして立ち上げて韓国語学習を続けられたらいかがでしょうか』という提案であった。

「はじめての韓国語講座」受講者に希望者を募ったところ、半数の7名が韓国語学習を続けたいという希望であったので、早速クラブを立ち上げるための話し合いを持った。クラブとして発足するには、代表者、会計係の選出、会費、講師への謝礼、教室の手配、講座の実施日、時間、講座の回数などを決める必要がある。

まず、会として運営していくには代表者や会計係を決めなければならない。しかし、そのような面倒な役割は誰でも嫌がるので、なかなか話が進まないことも多いが、私たちの会はすんなり決まった。今回の韓国語講座で、特に熱心なお二人の女性がおられて、そのお二人に他の皆さんが推薦するような形でお願いしたら、お二人とも快く引き受けていただいた。そしてお二人で相談されて代表者と会計係になっていただいた。

代表者と会計係が決まってからは、お二人のリードで話を進めていった。必要経費としての講師の謝礼や室料をはじめ韓国語教室の実施日時、実施頻度、実施時間などを検討していった。最終的に、毎月2回、第一金曜日と第三金曜日、時間は午前10時から90分実施することに決めた。因みに会費は月二千円と決まった。併せてクラブ名は韓国語でこんにちはの意味の「アンニョン」と決まった。若い人の仕事ぶりをみると早くて正確、そしてクラブ名などセンスを感じる。とても私には思いつかない。

今は、視聴覚機器が進歩して様々な語学学習の方法がある。ネットでも語学学習は可能であるし、ラジオやテレビでも可能である。教室に行かなくても独自にやろうと思えばいろんな方法で独自学習が可能である。私は、今回、教室に参加して取り組むことを選択した。その理由は、一人では怠けるのが分かっているからである。教室に入って同じ教科書で学習すると、一人だけ置いてけぼりにならないように頑張るだろうと思って参加することにした。同好の士から刺激を受けながら韓国語を学んでいきたいと思う。