ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

寂聴さんとSEALDs

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瀬戸内寂聴さんの本を読んでいたら、寂聴さんが”SEALS “の本は読んでいて飽きないと書いていた。
「世の中が混沌として、日本はこの先、どうなっていくのかと不安が頭いっぱいになり、93年も生きてきて、こんな不確かな国の状態を見つめながら生涯を閉じるのかと思うと情けなくて、まだ死ねないと烈々と闘志が湧いてくる。しかし、如何せん、体は確実に日々衰えてゆき、想いの半分も動いてくれない。・・・・・体の動かない分、終日、本ばかり読んでいるが、繰り返し読んで飽きないのが、SEALds(シールズ)の若い人たち高橋源一郎さんの対話で成り立った本である。高橋源一郎×SEALds『民主主義ってなんだ?』『SEALds 民主主義ってこれだ』という本に教えられることが多い。若者が全く政治に関心ゼロといわれ、10代、20代の男子が女の子に興味もなくなり、草食系など情けない名で呼ばれる世の中に絶望しかけていた私にとって、突然降ってわいたようなSEALds(シールズ)の出現は驚異的だった。これらの本で識ったメンバーの身の上話だけでも小説が十くらいできそうに面白い。」と書いてあった。
寂聴さんの本は昨年、寂聴さんが97歳の時に書かれたものである。97歳の寂聴さんが自著の中で、SEALDsという若者の出現に絶望の中に光を見たと書いていた。寂聴さんの話から、私もSEALds「民主主義って何だ」の本を読むことにした。

 

SEALds(シールズ)の活躍のことは私もよく知っている。SEALds(Students Emergency Action for Liberal Democracy-s)の日本名は「自由と民主主義のための学生緊急行動」である。
SEALds(シールズ)は2015年5月に結成されたが、その前身は2012年夏に反原発を見学する「TAZ」(タズ)という集まりが始まりである。「TAZ」はその後「SASPL(サスプル)」(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)に発展していく。
サスプルとして活動している時、新聞社から「サスプルとしての意見はどういうことですか?」と質問を受けた。「サスプルは個人が勝手に来ているだけで、集団とか組織って感じじゃないです。個人で自分の頭で考えて、判断して、自分の足でそこに来ている。個人としてたまたまそこに居合わせてしまった人たちっていう、なんとなくの塊なんです。だから結論としては、サスプルとしての意見はない。私個人としての意見があるだけです。だから、もし聞きたいんだったら、一人一人に聞いてください」と答えた。その発展だからシールズのメンバーシップもゆるい。
サスプルやシールズはあくまで個人主体の集まりである。集会でスピーチする時の約束事がある。スピーチする人は「私は〇〇大学、〇〇〇〇です。私は特定秘密保護法に反対します」というように必ずスピーチのときは自分の名前を言う約束である。
特定秘密保護法が成立した後、SEALDs(シールズ)は戦争法案に反対する抗議行動としてサスプルから発展的に結成されていった。シールズはネットを通じて国会前抗議行動を呼びかけて主催した。抗議行動を企画するとサウンドカーのレンタル、パンフレット、フラッグ、ステッカーなどの準備がいる。準備するにはお金がいる。その費用は主にカンパで賄われるが、最初は全てメンバーの手出しからはじまっている。最初は4〜5人のメンバーで始まったシールズは、毎週金曜日の抗議行動の後に、「メンバーに入りたい人!」と呼びかけて集まってもらいメンバーが100人以上集まった。ミーティングは月に一度約50人程度が集まる。後は全てLINEで連絡する。

シールズには様々な班がある。デザイン班、デモ班、イベント班、コンテンツ班、インターナショナル班、広報班、出版班、物販班、映像班、コールセンター班、後は副司令官ラインである。
シールズはサスプルの時から代表を作らない代わりに副司令官というのを作っている。マルコス副司令官というメキシコの革命家がいて彼は、「真の司令官は人民である」とか言って、自分のことを副司令官と呼んでいたらしい。それを真似て、メンバーはみんなが司令官で、各班のリーダーが副司令官と言うようだ。

国会前抗議行動を毎週主催した。最初は梅雨のため、毎週、雨にあいその時は参加者は3000人を超えなかった。しかし天気が晴れてきた7月からは突然一万人以上が参加した。その後は最高10万人規模の抗議活動に発展していった。

国会前抗議集会で多くの若者が、戦争法案に反対するスピーチをした。男性も女性も堂々と名前を名乗って理路整然と自分の言葉で聴衆に語りかけた。多くの若者たちの言葉は感動的でもあった。

 

そのような活動を寂聴さんは小田実さんのベ平連みたいだとおっしゃっていた。確かにシールズとベ平連は方針において似たところが多い。一つは、既成政党の指導を一切受けないこと。個人の集まりあるいは市民の集まりとしていること。除名をしない、去るものを負わず、来るものを拒まずであることなどからシールズの活動はベ平連の発展系という人も多い。

多くの若者がシールズの抗議集会に参加して意思表示を行った。彼らの活動にもかかわらず安保法制を止めることはできなかった。シールズは解散したが、シールズを主体的に主導した奥田愛基氏は言う。「今後どんな社会になるとしても、問われているのは自分たち自身だと言うことだ。法案が通るまでも、通った後も、そして次の選挙も、問われているのは政治家ではない。「民主主義ってなんだ?」その答えを出すのはずっとずっっと自分たちの番なんだと思う」と語っていた。その精神は日本の若者に何か新しいものを植え付けていった。自分の言葉で社会を語るという若者のスタイルは間違いなくこれからの日本を変えていくと思う。