ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

アフガンと中村哲医師

「米軍、アフガン撤退」というニュースが連日報道されている。
アフガン戦争のきっかけは、2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロだった。
米国は、事件を首謀した国際テロ組織「アルカイダ」のビンラディン容疑者がアフガニスタンに潜伏していることを突き止め、当時のタリバーン政権に引き渡しを求めた。だが、タリバーン創始者のオマール最高幹部は「(ビンラディン容疑者が)テロに関与した証拠がない」などとして、引き渡しに応じなかった。

 

当時のブッシュ大統領は「これらの行為をしたテロリストと彼らをかくまう者たちを、われわれは区別しない」「わが国に対して実行された入念な、そして破壊的な攻撃は、単なるテロ行為ではない。これは戦争だ」「すべての地域のすべての国が今、下さなければならない決断がある。われわれの側につくか、テロリストの側につくかだ」
などと述べ、ブッシュ大統領は同年10月、「タリバーン政権は代償を払うことになった」とテレビ演説で攻撃開始をそう宣言し、「テロとの戦い」を掲げた軍事行動に踏み切った。そして、当時の小泉純一郎首相は「テロリズムと戦う今回の行動を強く支持する」と表明した。

米軍はこの戦争にピーク時に9万人を派遣、他の国も最大時に約4000人を出した。米軍の死者は約2430人、負傷者は2万2000人余りとされる。さらにこの戦争によって、少なくとも10万人以上の女性子供を含む民間人が犠牲になっている。
米軍の直接戦費は7700億ドル(約88兆円)と発表されたが、手足を失ったり失明したりした重傷者の生涯の年金、治療費や国債の利息など将来の費用を含むと「その約3倍(約260兆円)になる」との指摘もある。
20年に及ぶ戦争で、一旦はタリバン政権を倒し、アメリカが支持するアフガン政府が樹立されたが、アメリカ軍撤退と同時にアフガン政府は瓦解し、タリバン政権が復活した。この戦争で失われた命、奪われた命のことを思うとこの戦争に何の意味があったのだろうかと思う。

 

アフガニスタンを考えると亡くなられた中村哲医師のことを思う。2001年10月13日、中村哲医師は衆議院テロ対策特別措置法案審議に出席し、参考人の一人として発言した。
9.11事件の後、米英軍によるアフガニスタン爆撃が始まった直後である。この時点で、18年間の現地体験を裏付けとして語られた訴えは、当時の世界の中でも、きわだつものであった。9・11の「衝撃」に浮き足立ち、テロと戦うかテロ容認か、二者択一を迫る論議が、強権発動のようにまかり通った。心ある人も、沈黙を守らざるを得ないような狂気の風が吹くなか、中村参考人は発言した。その発言の一部を記す。

ー私はタリバンの回し者ではなく、イスラム教徒でもない。ぺシャワール会は1983年にでき、十八年間現地で医療活動を続けてきた。ペシャワールを拠点に一病院と十箇所の診療所があり、年間二十万名前後の診療を行っている。現地職員220名、日本人ワーカー7名、70床の病院を基地に、パキスタン北部山岳地帯に二つ、アフガン国内に八つの診療所を運営している。国境を越えた活動を行っている。私たちが目指すのは、山村部無医地区の診療モデルの確立、ハンセン病根絶を柱に、貧民層を対象の診療である。
アフガニスタンは1979年12月の旧ソ連軍侵攻以後、二十二年間、内戦の要因を引きずってきた。内戦による戦闘員の死者七十五万名。民間人を入れると推定二百万名で、多くは女、子供、お年寄り、と戦闘に関係ない人々である。六百万名の難民が出て、加えて大干ばつ、さらに報復爆撃という中で、痛めに痛めつけられて現在に至っている。

アフガンを襲った世紀の大干ばつは、危機的な状況で、アフガニスタンを半分は砂漠化し、壊滅するかもしれないと、昨年から必死の思いで取り組んできた。私たちは組織をあげて対策に取り組み「病気はあとで治せる、まず生きろ」と水源確保事業に取り組んでいる。難民救助に関し、こういう現実を踏まえて議論が進んでいるのか、一日本国民として危惧を抱く。テロという暴力手段防止には、力で押さえ込むことが自明の理のように論議されているが、現地にあって、日本に対する信頼は絶大なものがある。難民救助は信頼の上に成り立つ。それが、軍事行為、報復への参加によってダメになる可能性がある。自衛隊派遣が取り沙汰されているようだが、当地の事情を考えると有害無益である。私達が必死でー笑っている方もおられますけれども、私たちが必死でとどめておる数十万の人々、これを本当に守ってくれるのは誰か。私たちが十数年かけて営営と築いてきた日本に対する信頼感が、現実を基盤にしないディスカッションによって、軍事的プレゼンスによって一挙に崩れ去るということはありえるわけでございます。アフガニスタンに関する限りは十分な情報が伝っておらないという土俵の設定がそもそも観念的な論議の密室の中で進行しておるというのは失礼ですけれども、偽らざる感想でございます。

中村参考人の発言中に国会議員の中から笑い声が聞こえた。議事録では笑った議員を特定できない。しかし、語られている重い内容を理解できず、理解する気もなく笑った国会議員がいたのだ。また、自民党亀井善之委員は「自衛隊の派遣が有害無益で何の役にも立たないという発言」の取り消しを求めた。
中村参考人の必死の訴えにも関わらず、その後、テロ対策特別措置法が成立し自衛隊イージス艦のインド洋派遣が決まった。

 

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中村医師は澤地久枝さんとの対談の中でアフガニスタン戦争について語っている。
「9.11以後のブッシュ大統領の選択は間違いというより人道的に見て非常に犯罪的です。とりあえずアメリカ国民の怒りを鎮めるためにやったとしか、思いようがない。単に復讐心を満足させるために、正義ドラマとしてやったのなら、ブッシュは死刑に値します。」

「それに付随して、直ちにを「お味方する」と言った国の総理大臣は最低です。ブッシュ大統領はこれは対テロ戦争だと言いました。そういった戦争をすることについて、たいした議論もなく日本が関与すること、ほとんど何の疑問もないまま、アメリカがするから手伝おう、手伝うのが当たり前という気風、それが、奴隷根性と結びついてやられるというのは、見ていて非常に情けない気がします。私はあの時、日本は独立国ではないと思いました。日本はアメリカの準州か、ここまで堕ちたのかと思いました。」

「アフガンに平和をもたらすために、米軍は全員、武装を捨てて、私たちと同じように水路を掘ったらいい。そしたら、我々と同じように歓迎されますよね。水路を掘ったら、アフガニスタンは間違いなく親米的な国になるでしょう。タリバンを征伐するよりもよっぽど効果があるでしょう。」

あらためて、アフガニスタンの人々の篤い信頼と尊敬をかちえ、アフガン再建の道筋を示した中村哲医師に敬意を表したい。そして、同胞として誇りに思う。日本人として中村哲医師の精神を引き継ぎたいと思う。