ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

三和町ウオーキング

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S点をスタートして川原住吉神社までの往復コース。距離7.28km、最低高度1m、最高高度51m、総上昇高度79m、歩数10407、天気晴れ、気温23度、湿度90%

明け方、強い雨が降った。起床して雨雲レーダーを見ると「しばらく雨は降りません」と表示されている。雨上がりで道路は少し濡れているが、早起きして三和町ウオーキングを楽しんだ

 

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スタート地点は、三和町元宮公園である。ここは野球、サッカーが利用できるグランドやテニス場が整備された運動公園である。また広い公園敷地は「ふるさとの森」として遊歩道が整備され、公園内のウオーキングも楽しむことができる。午前6時50分、ここの駐車場に車を停めて、ウオーミングアップをする。すでに公園内をウオーキングしている人たちが結構いる。

 

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私は公園を出て、川原住吉神社を目的地にウオーキングを開始する。公園の脇を小さな川が流れている。その川沿いの遊歩道を進む。この川にはゲンジボタルが生息しているらしい。蛍は清流にしか住まない。いつまでも蛍が生息できるように、住民参加のアドプト・プログラムが実施されている。

 

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ウオーキングの途中、「女島遭難供養碑等」という案内があるので尋ねてみることにした。等という案内通り、石碑が複数建立されていた。石碑は三基あり、そのうちの二つはそれぞれ「溺死萬霊塔」「溺死精霊塔」と彫られていた。一番古い一つは全く判読出来なかった。「溺死萬霊塔」は文化十二年という文字は判読できるが、あとはわからない。文化12年は、1815年にあたる年である。「溺死精霊塔」は一番新しい石碑で掘られた文字も明確であった。石碑の横面に「明治三十九年九月七日 男女群島遭難百九十七名の墓」と彫られ、裏面には「明治四十三年七月上旬建立」とあった。

明治時代の男女群島は良質な珊瑚が採取できる好漁場として賑わい、多くの珊瑚船が操業していた。そこに台風が襲い、荒れ狂う海に呑まれて明治38年には1200名、翌39年は1000名の犠牲者が出たという記録が残されている。男女群島の珊瑚船の遭難については新田次郎氏の小説「珊瑚」に詳しく書かれている話だが、その台風による遭難者がここ三和町出身者にもおられたことを初めて知った。ご冥福を祈るばかりである。

 

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海岸線に沿って進む。天気が良くなってきた。朝が早いからそんなに暑くはない。気持ちがいい朝だ。堤防には三和町の特産品であるビワの図柄のレリーフが飾られている。

 

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ここ三和町の浜辺には白い砂浜は見当たらない。どこまでいっても黒っぽい岩石の浜が続く。この岩石は蛇紋岩である。蛇紋岩はかんらん岩が水を含んで変質してできた岩石で脂肪光沢を持った黒っぽい岩石である。この蛇紋岩の礫だけからなる円礫浜は日本でも珍しい貴重なものである。

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川原住吉神社到着。この神社は川原地区の守り神として千年以上の歴史を持つといわれている。ここの神社には2対の狛犬が神殿をお護りしている。鳥居を潜るとすぐ横に石彫り一対の狛犬が神殿を護って鎮座している。表情がかわいいというか狛犬特有の物々しさがない。この一風変わった狛犬が一部の人には人気らしい。

 

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さらに神殿に近づくと、神殿の両脇に一対の狛犬を見る。狛犬特有の厳つい表情をしている見慣れた狛犬である。神殿の前に立ち参拝する。

 

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川原住吉神社境内には樹齢500年以上と言われる大楠がある。目通り幹囲5.75m、樹高26mの巨木である。大楠に触れてパワーをもらいたいと思うが、大楠の周りにはガードパイプが設置されて近づけない。仕方ないのでが足元の根の方向に伸びている樹肌に触れる。樹肌は柔らかい。何か温かみを感じる肌触りであった。

 

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住吉神社参拝した後、周りを見学しながら戻ろうとしていたら、大きな石碑を見つけた。
立派な石碑なので気になり上って行った。それは忠霊塔であった。中霊塔には英霊となった128名の名前が刻まれていた。

案内文には、「この忠霊塔は、明治以来さきの第二次世界大戦に至るまで祖国日本の繁栄と家族の幸せを念じつつ、世界平和の礎として、二つとない尊い命を捧げられた、我が郷土、川原地区出身者の御英霊を、永久にとむらい後世に残さんがために建立されたものです。ここに御英霊のご冥福を心からお祈り申し上げ、合わせて、先の大戦から学び取った教訓をよく噛みしめ、協同して生きる世界の一員たる自覚と恒久的な平和維持のために努力することをお誓い申し上げます」とあった。


先日、NHK 番組の「銃後の女性」見た。これは、戦時中、1000万人の女性が参加した国防婦人会にスポットを当てた番組であった。日本軍が戦線を拡大する中、銃後は、軍を支持する熱狂的な声で溢れた。動員される兵士は急増し、女性たちは、夫を我が子を戦場へと送り出した。不平不満を言わずに戦争に協力することが、銃後の女性の務めと言われた。そして、その女性たちが直面したのが、夫や息子たちの死であった。涙を見せる女は言うも悲しき情けない女と言われ、涙も見せず自分の胸の中に収めると立派な母親と褒め称えられる時代であった。

女性の役割は「良き子を生んでこれを忠良なる臣民に仕立て、喜んで国防上の御用に役立てることが女性に与えられた基礎的努め」とされた時代があった。

女性が、夫を我が子を戦場に送り出し、その死を涙も見せないで受け入れなければならない時代があったことをこの「忠霊塔」を見て思った。

この128名の英霊に対し、表では、涙も見せず受け入れた女性がこの地でも確かに存在したことを思う。私は、二度とそのような時代を繰り返すことがないように、忠霊塔を前に二度と戦争しないことを固く誓った。

 

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折り返して、今来た道を戻る。日がずいぶん高くなった。濡れていた地面がいつのまにか乾燥している。塩分補給と水分補給をしながらゴールを目指す。今日もいい運動ができた。さらに、歩くとそれぞれの土地の歴史に触れ、刺激を受けるのも楽しい。