ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「みさき道を歩く」 その1

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青点(館内)を出発して赤点(蚊焼)までの約16km。(写真:コース途切れは操作ミスのためGPS受信ミス)最高高度140m、最低高度2m、上昇高度419m、消費カロリー1,650kcal、天気曇り、気温13度、湿度75%

みさき道は平安時代末期に造立された千手観音立像通称“みさき観音”をお詣りする道である。その“みさき観音”は野母崎半島・脇岬の先端にある観音禅寺に祀られている。長きに渡り多くの人々に信仰されてきた通称 "みさき観音"、そのみさき観音詣りの参道が御崎道(みさきみち)である。みさき道は長崎市内から野母崎までの7里(28km)の道である。当時は道伝いに50本の道塚(石柱)が立てられていたようだが、現在は12本が確認されるだけらしい。それも、交通機関の発達や開拓開発により、古道は寸断されたり改変されたりして、みさき道の面影はなくなってしまっているが、その道塚を探しながら、昔、ここにみさき道という古道があったことを確認しながら長崎から野母崎までの28kmを2回に分けて歩くことにした。第1回目は青点(館内)を出発して赤点(蚊焼)を目指す。

 

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「みさき道」の出発点である「館内」のすぐ隣にある湊公園に集合する。湊公園の前は長崎新地中華街である。ここは昼から夜まで何時も賑わっている場所であるが、早朝なので人通りもなく公園も中華街も静かである。今日の「みさき道ウオーキング」の参加者は4名である。全員が集合し、リーダの話を聞いて出発する。「みさき道は参拝の道です。折角だから、私たちも昔の人が参拝した気持ちになってこの参道を歩きましょう。その為、今日のウオーキングでは、何があっても怒らないようにお願いします。また、心の中で、身近な人に感謝する気持ちを思い浮かべながらウオーキングしていただけたらと思います。」

 

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公園を出て1〜2分進むと、すぐにみさき道の1番目の道塚の場所にでる。石塚は長年、風雨にさらされ文字は判読できない。「これよりみさき道」と書かれていたのではと推測する。緩やかな階段の道が続く。ここは、みさき道の参道の始まりである。

 

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緩やかな上り坂になった細い道を上りきったら東山手に至る。ここが本格的に開発されたのは明治元年頃(1868)からであり、みさき道が造られた頃はまだ何もない山道だったにちがいない。今は赤煉瓦塀や石畳みが居留地時代の名残りとして面影を残している。赤煉瓦のなかには活水女子大学の校舎が見える。

 

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古地図を頼りに歩いてきたら目の前にをグラバースカイロードが現れた。グラバースカイロードは日本で初めて道路として造られた「斜めに動く」斜行エレベーターである。坂の多い長崎では地元の人の強い味方である。古地図では、みさき道はこの手前を左に曲がって上っていく。欄干がわりに道なりに古い石が積まれている。その石も年月を感じさせるものが多い。

 

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緩やかな坂の細い路地を抜けて広い車道に出る。道は車道以外にない。急な上りになっている車道を道に沿ってどんどん上っていくと二本松神社に出る。道路拡張工事に伴い、二本松神社も用地が削減されたようだ。地元の人の話では場所は昔からここにあったようだ。みさき道は二本松神社を過ぎて山道に入っていく。江戸時代までは、みさき道はこんな道であったと思う

 

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山道を抜けてまた住宅街を通る道に出る。道の脇に「これより南佐賀領」とある。ここが天領である長崎と佐賀鍋島藩の境ということになる。古地図を頼りに進むと二子島と熊ケ谷と言う両力士の墓石を見つける。案内板には、「両力士の墓は土地開発のためにここに移設された。往時、この界隈はみさき道が通り茶屋が置かれて賑わいを見せていた」と書かれている。みさき道はこの辺りを通っていたことは間違いないようだ。

 

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石碑を過ぎて、また山道へ入っていく。山道というより藪である。古道は確かにここを通っていたのだろうが、今は誰も通る者はなく道は樹木に覆われいつしか道が失われてしまうのだろう。開発でなくなる道もあるが、使われなくて喪失する道もある。ここも近い将来、道がなくなりそうだ。

 

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みさき道は深堀町へ入る。深堀の町中を通ると様々な表情の恵比寿さんに出会う。深堀に恵比寿様が多いのは深堀が恵比寿信仰の盛んな佐賀藩の領地であったかららしい。また、深堀の恵比寿さんは毎年ペンキで化粧するようだが、明治時代からの伝統のようである。砂岩でできている恵比寿様の風化を防ぐためにペンキ塗りが行われるようになったと聞いたことがある。カラフルで表情豊かな恵比寿様を見るのは楽しい。

 

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深堀を抜けて、みさき道は山越えをしていく。古道はなく広い大きな車道に沿って進む。途中地蔵さんが祀られている祠にお詣りする。この地蔵さんたちは、昔は道なりに祀られていたのかもしれない。それが道路拡張にともなう土地開発のために移設されてここで祀られるようになったのではないかと思う。地蔵さんの前からは海が見える。今日は曇りであったが、雨には会わずにすみそうだ。

 

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大きな車道から折れて山道に入っていく。みさき道の道塚発見。この山道はまさに当時のみさき道そのものである。今は、畑の畦道みたいになっているこの道は、往時参拝する人が通ったみさき道である。

 

みさき道ウオーキングはみさき道がなくなっていることを確認するウオーキングでもあった。今日はみさき道の半分の行程であったが、当時は28kmのみさき道を1日で歩くことが原則で、中には、1日で往復する人もいたという記述も古文書にはあるようだ。昔の人がいかに健脚であったかがわかる。私も健康のためにも出来るだけ歩き続けたい。