ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「平和の俳句」を読む

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東京新聞の説明によると『「平和の俳句」は、東京新聞が読者の皆さんから「平和」を自由な発想で詠んだ句を募集し、入選句を紙面に掲載して伝え合う、“軽やかな平和運動”です。戦後70年の2015年1月1日から毎日、17年末まで掲載しました。この3年間の応募総数は13万1288句に及びました。
 「平和の俳句」誕生のきっかけは、14年の終戦の日に掲載した俳人金子兜太(とうた)さん(18年2月に死去、享年98)と、いとうせいこうさんによる対談でした。
 当時、<梅雨空に「九条守れ」の女性デモ>という俳句が、さいたま市の公民館の月報に掲載を拒否された「九条俳句」問題があり、2人は戦前の新興俳句運動に対する弾圧事件に重ねました。戦争に向かう時代の空気に抗(あらが)おうと呼び掛けたのが「平和の俳句」でした(「九条俳句」問題は、市の違法性を認める判決が18年末に確定。翌19年には市教育長が作者に謝罪し、句も月報に掲載されました)。
 選者は金子さん、いとうさんの2人で始まり、金子さんが体調を崩して退いた17年8月以降は、金子さんから託された黒田杏子(ももこ)さんが後を継ぎました。毎日の連載終了後も再開を望む声をいただき、18年からは毎年夏の特集という形で復活、継続しています。また2021年3月には「平和の俳句 東日本大震災10年」も掲載しました。』とあった。

私は「平和の俳句」のことは知らなかったが、図書館で「平和の俳句」を見つけ、興味を感じて読むことにした。読んでみると、投稿者お一人お一人の平和への想いが強く感じられる作品ばかりで共感できることが多くあった。どの作品も心を打つものばかりであるが、その中でも、特に私の胸に響いた作品のいくつかを記したい。

 

日本に 平和のきまり これ一番   鈴木 麻里衣さん(9歳)
この作品は、生き方が明快で、しっかりした考えを持った年配者が作った句だと思って、年齢を見ると9歳とある。素晴らしいと思った。平和は日本の決まりである。みんなが決めたその決まりを勝手に壊さないで、決まりはしっかり守ってくださいと訴えているように思えた。「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」という言葉があるが、為政者は鈴木さんのこの句を心に焼き付けてもらいたいと思う。

 

戦争は しないと言った ではないか 小西 幸一さん(81歳)
2015年9月19日、九条改悪安保法が国会を強引に通過した日である。日本は専守防衛の国であった。それを憲法九条の専守防衛集団的自衛権に焼き直して戦える国にした日である。それを受けて作られた句である。専守防衛を守る気もない人たちが、友達が攻撃された時、それを守るための戦争は国際的に許されるなどと詭弁を弄して多数派に乗じて成立させた戦争法案である。これからも9条改憲を阻止し、集団的自衛権行使を容認した2015年の安保法制を廃止するという目標に取り組んでいかねばと思う。

 

18才 戦争しないと 決めた年  田中 綾さん(17歳)
作者が17歳の時に作った句で、18歳になり、選挙権が与えられたら、戦争反対を貫く構えと説明にあった。若い人が明確に戦争をしないと述べているのを見ると暗闇に希望の火を見る思いがする。何があっても貫き通してほしいと思う。

 

「平和の俳句」の募集は毎年8月に行われるようだ。選者は、作家のいとうせいこうさん(60)と、金子兜太さんの後を継いだ俳人の黒田杏子(ももこ)さん(82)である。投稿規定は簡単である。投稿規定を読むと「投稿は未発表の自作の句に限ります。「平和」を自由な発想で詠んでください。季語はなくても構いません。よろしければ、作品に込めた思いや体験をお書き添えください。」と書いてある。

俳句だけど「平和の俳句」は季語に捉われなくともよいと書かれている。難しく考えないで平和への思いを5、7、5で表現すればよいようだ。いや、5、7、5にも捉われず字余りでも字足らずでもよいみたいだ。これなら、私も一句作れそうな感じがする。

来年2022年夏に、平和の俳句の募集があるかどうかわからないが、その日のために私も「平和の俳句」をいくつか作ってみた

 

子や孫に 絶対銃を 持たせない
子や孫を題材にした平和の俳句は多い。私も子や孫を持つ身になって、子や孫が兵隊として戦場に赴くことがないようにしなければと切実に思う。

 

平和主義 世界に広げる 役担う
日本が世界に誇れるものはものつくりだけではない。憲法九条に謳っている平和主義こそ一番誇れるものである。平和主義の旗を立てて先頭を進む国であり続けたい。そうすることで世界の中で名誉ある地位を占めたいと思う。

 

戦争を しない日本を 遺贈する
私たち大人は子供に何を遺すか。現在大人になっている私たちも祖先から遺贈を受けて現在がある。その私たちは日本の財産である平和主義を確実に確固たる形で子孫に繋げていかねばならない。しかし、私たち大人の力不足でそれが壊されようとしている。平和主義の破壊をなんとしても阻止して次の世代に引き継がねばとそれだけを思う。

 

願わくは 子々孫々まで 平和主義
私の時代は戦争がなかった。それを永久に続けてもらいたい。集団的自衛権などというまやかしに踊らされることなく、どういう困難な状況にあっても、国際紛争を解決する手段としての武力の行使は永久に放棄してもらいたい。日本みたいな小国が軍備にお金を注いで豊かになれるはずがない。外交による問題解決に徹することしか生きる道はないと確信する。

 

古希越えて 九条のお陰で いくさ見ず
私は今年72歳になった。振り返ると、幸せな時間を過ごすことができたことを感謝せざるえない。1945年8月15日以来、今日まで日本は戦争をしていない。日本人はこの間、戦争で誰一人殺していないし、殺されてもいない。私は、そういう時代に生まれ、ここまできた。戦争がないのが当たり前と思える時代を生きてきた。しかし、もし憲法九条がなかったら、どうなっていただろうと想像する。我が国が戦争を好む好まないにかかわらず、いくらでも戦争に巻き込まれる危険はあった。時の総理が、「日本には憲法九条があるため貴国の期待に応えることはできない」と言って海外派兵を断ったいう話がある。九条がなければ、簡単に戦争に巻き込まれていたに違いないと思う。九条にあらためて感謝せざるをえない。日本国憲法に九条を書き入れた先人に感謝である。