ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

一足早く、我が家に春が来た

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連れ合いがお雛様を飾りたいと言い出した。子どもたちはすでに成長して、今は誰も地元にいない。二人の娘もそれぞれ結婚して他県に嫁いでいる。長いこと、お雛様を飾ることはなくなっていたが、コロナで気持ちが塞ぎこんでしまう今、私もお雛様を飾りたいと思い、納戸からお雛様をはこびだすことにした。

随分昔になるが、長女が誕生した時に七段飾りの雛人形を座敷に飾って、親戚を呼んでお祝いをしたことを思い出す。子どもたちが小さい頃にやったように七段飾りのお雛様を飾りたいが、その七段飾りをセットするのはなかなか大変なので、お内裏様とお雛様の二人だけをお飾りする親王飾りをすることにした。

七段飾りの雛人形は総勢15体の人形が飾られることになり、見ただけで大変賑やかな雰囲気になる。二人だけの親王飾りは淋しい感じはしないかなと少し心配していたが、連れ合いが飾り終えて、見に行ったら、座敷に一足早く春が来たような雰囲気になっていた。すこしも寂しいことはない。「うれしいひな祭り」の歌詞にあるように、「お内裏様とお雛様二人並んですまし顔」であるがお雛様の周りは華やかな晴れやかな空気に満ちている感じである。

 

ひなまつりというと私には10年くらい前に行った「佐賀城下ひなまつり」が忘れられない思い出である。用事で佐賀に行き、連れ合いと一緒に佐賀市内を歩いていた時、江戸時代の大名行列に出くわした。「この大名行列は何?」と思って聞いてみると、「佐賀城下ひなまつり」の催し物であった。「佐賀城下ひなまつり」は佐賀鍋島藩の歴代婦人たちが愛用した由緒ある雛人形や伝統工芸佐賀錦によって飾られたきらびやかな雛人形を堪能できる早春の佐賀の一大イベントである。町中では大道芸なども行われ出店も多く出て賑わっていた。いろんな名所旧跡に雛人形が飾られ、市内を散歩しながらひな祭りを楽しみながら佐賀に触れる愉快なイベントであった。今年の佐賀城下ひなまつりは2月11日から実施と聞いているが、予定通り実施できればいいのにと思う。

ひな祭りについて明確な知識がないので調べて見た。
「ひな祭りは平安時代から続いている日本行事の一つです。中国の陰陽道が入ってきていた平安時代には、奇数月に邪気を払う習慣がありました。1・3・5・7・9月の奇数月の中でも、5月5日なら端午、7月7日は七夕、3月3日は「上巳の節句」と呼ばれていたようです。当時の節句の日には、新しい季節を迎え入れるための準備として、お祓いやお清めが行われていました。上巳の節句であるひな祭りには、邪気をわらや紙で作った人形に宿して流す「流し雛」が行われ、これがひな祭りの始まりといわれています。また、当時宮中の幼い女の子の遊びの中に「ひいな遊び」と呼ばれる人形遊びが行われていました。この「ひいな遊び」が「ひな遊び」になり、ひな祭りの語源になったといわれています。

それが江戸時代になると家に人形を飾って子の成長を願うようになり、家へ飾ったものが雛人形の原型となりました。上巳の節句が始まった頃は男女の区別はありませんでしたが、江戸時代、5月の菖蒲を尚武となぞらえて男の子のお祝いとした端午の節句に対して、ひな祭りを女の子のお祝いとしました。

季節の節目を「節句」と呼び、江戸時代には「五節句」が幕府後任の祝祭日になりました。五節句とは正月を別格として1月7日を「人日」、3月3日を「上巳」、5月5日を「端午」、7月7日を「七夕」、9月9日を「重陽」と定めています。後に上巳の節句は桃の節句と呼ばれますが、旧暦の3月3日は桃の開花に重なります。桃は古くから鬼を払う魔よけの力や、不老長寿の力がある縁起の良い花として知られています。縁起の良い桃の開花と重なるひな祭りは、桃の節句と呼ばれるようになりました。」とあった。

またペコちゃんでお馴染みの不二家ファミリー文化研究所が、全国の20代から50代の女性100名を対象に行ったひなまつり調査レポートでは、
「ひなまつりのお祝いをしたことがありますか?」という問いに対して、74%の人が「ある」と回答している。
「ひなまつりは、いつ頃まで行っていましたか?」という問いに対して、幼稚園保育園まで12.2%、小学生まで55.4%、中学生まで10.8%、高校生まで4.1%、20歳まで5.4%、それ以上12.2%という回答であった。この調査では70%以上の人がひなまつりをお祝いしたことがあり、小学生頃までお祝いする人が半数を越える結果となった。

子どもの成長を願って行われてきた「ひなまつり」のその起源は今から約1000年前の平安時代にあるようだ。どんなに人口知能が進歩するAIの時代になっても、「ひなまつり」という日本の伝統文化はいつまでも続いてもらいたいと思う。