ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

裳着(もぎ)神社へ行く

f:id:battenjiiji:20220201232919j:plain

青点をスタートして裳着(もぎ)神社までの往復コース。距離1.73km、最高高度23m、最低高度0m、総上昇高度53m、消費カロリー215cal、天気曇り、気温8度、湿度64%

 

一週間前から右の肩が上がらない。無理に上げようとすると痛いが、何もしなければそんなに痛くはなかった。それが、昨日から痛みがひどくなってきた。整形外科の先生に診てもらったほうがいいよという連れ合いのアドバイスを受けて、整形外科に行くことにした。私のかかりつけの整形外科医院は車で30分ほど離れた茂木町にある。診察してもらった結果、「筋が炎症を起こしているので痛み止めの注射をします。心配ありません。一週間分の薬を出しときます」ということでお薬をいただいた。先生に診てもらい、痛み止めの注射をしていただいたのでずいぶんと楽になった。このまま帰るのはもったいない気がして、茂木を散歩して帰ることにした。

 

f:id:battenjiiji:20220201230944j:plain
f:id:battenjiiji:20220201231012j:plain

今日の散歩で、私はどうしても裳着(もぎ)神社に行きたかった。というのは、裳着(もぎ)神社の場所を勘違いしていたためである。私は茂木港のすぐ隣の高台である弁天山に祀られている神社を裳着神社と思っていたが、実際は、そこは厳島神社であった。裳着神社は若菜川の少し上流の方にあるということを知ったので、事実を確認するため一度参拝したいと思っていた。茂木(もぎ)港駐車場に車を止めてここから裳着神社を目指すことにした。

 

f:id:battenjiiji:20220201234956j:plain
f:id:battenjiiji:20220201235050j:plain

茂木港から若菜川に沿って上流を目指す。古い町並みの小さな路地が続く。昔からの石塀がそのまま残る家もある。海辺の町らしい風情が懐かしい。

 

f:id:battenjiiji:20220202001123j:plain
f:id:battenjiiji:20220202001204j:plain

 

古い町並みの小道をしばらく進むと、右手に裳着神社の第一の鳥居が見えてきた。「裳着神社御由緒」を読むと「裳着神社は茂木地域の総鎮守社として信奉されている神社で、当初は、八武者大権現と称され、弁天山において祀られていた。約850年前に現在地に遷座して、明治元年に「裳着神社」と改称された。因みに「裳着」の由来は神功皇后三韓出兵に際して、当地で衣装を着けられたことによる」とあった。階段をのぼって本殿へ向かう。

 

f:id:battenjiiji:20220202001305j:plain

現在の社殿は明治八年(1975年)に造営されたものである。参道を上ってきて参拝するために本殿の前まで最後の階段を上っていこうとすると、ちょうど横の方から神主さんが現れた。「こんにちは、参拝させてください。」と言って階段を上り本殿の前に立ち、お賽銭を入れて二礼ニ拍一礼のお参りをして下がろうとすると、「お祓いをして差し上げましょう」と言って神主さんが本殿の中に入り、中から御幣を持って来られてお祓いをしていただいた。有難いことである。

 

f:id:battenjiiji:20220202010655j:plain
f:id:battenjiiji:20220202010736j:plain

裳着神社の境内には大きな銀杏の木があり、毎年10月には見事な黄金色に彩られるという神主さんの話であった。裳着神社の銀杏を今年の10月は楽しみしよう。本殿の裏手には御神木みたいな大きな楠木がある。また反対側には、白梅が満開の時期を迎えていた。

f:id:battenjiiji:20220202012852j:plain
f:id:battenjiiji:20220202012813j:plain

 

裳着神社の場所をしっかり確認できたので出発点に戻る。帰りは、裳着神社に改称する前の八武者権現が祀られていた弁天山経由で戻ることにする。弁天山の入り口から階段が続く。入り口左の方向には山を削った堀切道が北方向に真っ直に続いている。その堀切についての案内板を読むと、「この堀切は大正10年(1923年)に茂木・長崎間の鉄道敷設計画が進められ、弁天山北側の堀切工事が行われてこの区間は完成した。しかし、計画は頓挫して鉄道は開通せず、その後道路として使用されることになった」とある。

f:id:battenjiiji:20220202014921j:plain
f:id:battenjiiji:20220202014950j:plain

壊れた階段にあしを取られないように、足元に注意しながら一歩一歩上っていく。頂上はかなりの広さである。昔、この地に裳着神社の前身である八武者大権現や厳島神社などいくつかの神社が祀られていたが、現在は厳島神社のみ残して他の地に遷座したとある。頂上の祭壇には厳島神社の石の祠が祀ってある。

 

1.7kmの短い散歩であったが、以前から行きたいと思っていた裳着神社にやっと行けた。胸のつかえがおりるような気分である。気持ちがすっきりする散歩となった。また、予期せぬことにたまたまお会いした神主さんからお祓いまでしていただき肩の痛みもおかげでなくなってしまったようだ。

裳着神社では御祭神として息気長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)神功皇后をお祀りしている。神功皇后の話は茂木だけでなく九州でもいろいろと残されている。神功皇后は神話の世界の人なのか実在した人なのかわからない。誇張した話から実在しないと思われがちだが、そのモデルとなった実在の人はいたのではないかと私は想像する。女性がリーダーとして活躍した時代が古代日本にあったということを信じたい。茂木という地名も裳着神社の名前も神功皇后に由来する名前である。神功皇后にあやかって多くの日本女性がこれからもっと活躍してほしいと思う。茂木が活躍する女性のメッカになれば良いのにと思う。今日は神功皇后に思いを馳せる茂木散歩であった。