ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「ウエストサイド物語」を見た

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「ウェストサイド物語」は1961年に作られた映画であるが、私が今回見た「ウエストサイド物語」は、2021年に巨匠スティーブン・スピルバーグ監督によリ制作されたリメイク版である。前作は今から60年ほど前、私が中学時代か高校時代に私の地元でも上映されて、当時、大変話題になった記憶がある。同級生は見に行った人もいたが、私は見てなかった。友達からダンスがとてもかっこ好かったという話を聞いていたのでダンスと音楽の映画とばかり思っていた。先日、私の好きな映画評論家である町山智浩氏が「ウエスト・サイド・ストーリー」について、この作品の原作はシェークスピアの「ロミオとジュリエット」であり、アメリカ版「ロミオとジュリエット」ですという解説していたのを聞いて驚いた。若い恋人たちが社会によってつくられた障壁をはねのけて愛を成就させようとする愛をテーマにした映画とは思わず、ダンスを中心にしたミュージカル・エンターテイメントの映画とばかり思っていた。町山氏の解説を聞いていくうちに、愛をテーマにした映画というだけでなく、現代アメリカが抱える人種問題や社会の不条理などをテーマにした映画であるという説明を聞き、興味を感じてリメイク版を見に行くことにした。

シェークスピアの「ロミエとジュリエット」の舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナである。そこではモンタギュー家とキャピュレット家が、血で血を洗う抗争を繰り返していた。そいう中、モンタギュー家のロミオは友人に誘われ、キャピュレット家の仮面舞踏会に忍び込んだ。 そこでキャピュレットの一人娘ジュリエットに出会い、たちまち二人は恋におちるが、二人の行くてにはさまざまな悲劇が待ち受けているというものである。

一方、ウエストサイド物語の舞台は1950年代のニューヨーク・マンハッタンのウエスト・サイドである。貧困や差別による社会への不満を抱えた若者たちが同胞の仲間たちとグループを作り、自分達の縄張りを死守するためそれぞれに命をかけて敵対し合っていた。ある日、ポーランド系移民の「ジェッツ」の元リーダーであるトニー(アンセル・エルゴート)と、対立するプエルトリコ系移民の「シャークス」のリーダーの妹マリア(レイチェル・ゼグラー)が出会い、一瞬で恋に落ちる。その禁断の恋は、多くの人々の運命を変えていくことになるというものである。

町山氏の説明によると、1961年の「ウエストサイド物語」が高評価を受けたのは単に面白い映画というだけでなく、荒れる若者を通して社会の問題点を炙り出したことであった。今まで貧困層に置かれて社会から一顧だにされなかったプエルトリコ人という人種に対して、また劣った白人と位置付けられるポーランド系白人について、アメリカ社会に問題点を投げかけた映画でもあったようだ。

1961年につくられた「ウエストサイド物語」は映画史上革命的な映画と言われていたそうだ。それは、不良と呼ばれる若者を初めて主人公にして作られた映画であったこと。若者文化であるロック音楽やファッションを初めて商品化したこと。サンバやルンバやマンボなどのラテン系音楽をアメリカ映画に初めて採用したこと。白人と黒人しか登場しない当時の映画界にあって、初めて貧困層プエルトリコ人を扱った映画であったこと。初めてプエルトリコ出身の女性リタ・モレノさんを主人公の一人にしたこと。そして、彼女は当時、白人しか受賞できないと言われていたアカデミー賞ラテンアメリカ系女優として初めて受賞したこと。また、白人は一様に白人として捉える映画界にあって、ポーランド系白人を虐げられる白人として描いた映画であったことなどである。

革命的と言われるほどの高評価を受けていた1961年版「ウエストサイド物語」が存在するのに、スピルバーグ監督があえてリメイク版を制作しようと考えたのは、1961年のウエストサイド物語で提示された人種差別や社会の分断は、60年経った今も解決されないで、今なおアメリカ社会に大きな問題点として存在している。60年前よりさらに社会の分断が過激になっているということを訴えたかったようだ。


映画の中で、二人が、民族人種を超えて、愛を確かめるように「tonight 」を歌う場面が出てくる。忘れられない感動的な場面である。それと共に、2021年版では、1961年版でアカデミー賞を受賞した現在90歳のリタ・モレノさんが不良少年の更生に力を貸す役割で登場している。そして彼女は映画の中で「somewhere 」という曲を歌っている。その歌で彼女が願っていることは「いつかどこかで民族や人種を超えた人たちの平和な世界が実現するのでしょうか?いつかどこかで民族人種を超えた平和な世界が来てほしい」と90歳と思えない澄んだ声で優しく歌う。祈りに似た歌声である。この映画を見て、この歌を聞けて本当に良かったと思った。