ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「脳力のレッスンⅤ」を読む その2

高齢者となった団塊の世代の責任」

寺島実郎氏の「脳力のレッスンⅤ」を読んでいたら、「高齢者となった団塊の世代の責任」という項目があった。寺島実郎氏も団塊の世代である。高齢者である団塊の世代が、残された人生に取り組むべき課題を責任と言う言葉で語っている。その「高齢者となった団塊の世代の責任」を注意深く読んでみた。

『戦後日本の75年は、1990年前後(1989年ベルリンの壁崩壊、1991年ソ連崩壊)までの冷戦期の45年間と冷戦後の30年間に分けて考えることができる。敗戦の衝撃の中、東西冷戦の時代を生き抜くために日本は西側陣営の一翼を占めるかたちで、サンフランシスコ講和会議(1951年)にのぞみ、日米安保条約に基づく「日米同盟」で戦後を生きてきた。考えてみると20世紀の日本は、初頭の約20年間(1902年から1923年)は大英帝国との日英同盟を外交の軸とし、1945年の敗戦後の半世紀以上を日米同盟に拠ってきた。「アングロサクソンの国との二国間同盟で20世紀の大半を生きたアジアの国」という特殊な存在である。しかも間に挟まった四半世紀が戦争に至る迷走の時期で、日英同盟を背景に日露戦争、第1次対戦と彗星のごとく国際社会に台頭した記憶、日米同盟を支えに復興・成長の過程に入った記憶が埋め込まれ、「アングロサクソン同盟は成功体験」との認識が固定観念となったとさえいえよう。それが「アジアの国でありながらアジアの国でない」日本の立ち位置の淵源になっているのだ。戦後、日本は一貫して米国の同盟に支えられ、「軽武装経済国家」として生きた。その中で米国への過剰依存と期待が醸成され、「米国を通じてしか世界を見ない国」になってしまった。
冷戦終結当時、1990年の日本の貿易総額に占める対米貿易比重は28%であった。これが中国をはじめとするアジア貿易の増大によって2014年には13%にまで下がったが、軍事同盟では日米の一体化が進化してる。この段差に日本の立ち位置の危うさがある。

日米同盟の本質を再考する上で重要な設問がある。「なぜ北海道に米軍基地はないのか」という問いである。日米安保は冷戦構造を前提に成立した同盟であり、仮想敵国をソ連と想定するならば、侵攻の危険の高い北海道にこそ米軍が配置されてよいはずだった。その点について、米国議会の議論を踏まえるならば、「ソ連侵攻の場合、まず北部方面の自衛隊が戦って、米軍は南に構え、行動を選択する」というものである。それが冷厳な現実で、米国はいつでも駆けつけてくれる足長おじさんではない。今日の日米中のトライアングル関係においても、米国の本音は「日中の紛争に巻き込まれて米中戦争になることは避けたい」ということであり、「日米同盟で中国の脅威に向き合う」という日本の期待とは温度差があると認識すべきである。

しかし、冷戦後においても日本は在日米軍の見直しと地位協定の改定に取り組まなかった。このことが、米国のアフガン・イラク戦争といった冷戦後の世界史の転換においても「アメリカについていくしか選択肢なし」という沈鬱な状況をもたらした。つまり、日本は冷戦後のマネジメントに失敗し、世界の構造変化に対応してこなかったのである。同じく敗戦国のドイツは、冷戦後の1992年に「在独米軍基地の見直しによる縮小(在独米軍を26万人から4万人に削減)と地位協定の改定」に踏み込み、主権回復に舵を切った。対照的に日本は「アジアでは冷戦は終わっていない」という認識で、大事な90年代を日米安保の自動延長どころか、96年の「日米安保の再定義」、97年「ガイドラインの見直し」と、むしろ米軍の世界戦略と一体化する方向に向かった。知的怠惰であり、アフガン・イラクに展開した米軍が「同盟国軍隊との共同作戦」を期待して推進した「米軍再編」には思考停止のまま引き込まれていくしかなかった。

戦後日本の忘れ物としての最大の課題は、「米国との関係の再設計」である。それは「独立国に長期にわたり外国の軍隊が駐留し続けるのは不自然」という世界史の常識に還ることだ。この意思を失った国を世界では「独立国」とは言わない。』と寺島氏は語っていた。

寺島氏の意見に賛成である。日米地位協定はまさに不平等条約である。そのため、米軍基地を多く抱える沖縄では日本の法律で犯罪者を裁けない状態が日常的に起こっている。これをもって日本は米国の植民地であるとか、日本はアメリカの属州であるという人もいる。そのように言われても反論できないものがある。これから先もこのままでいいはずがない。日本では政治家がこの問題を避けてきた。いや、国民がそのような政治家しか育ててこなかったというべきだろう。日本は集団的自衛権を行使できるように法律を変えた。日本は戦争をしない平和国家をこれからも目指したい。しかし、日米同盟により、アメリカの世界戦略によっては米国の戦争に加担して、日本は戦争をする国に変わる危機が増大している。平和国家を目指す限り、そして日本が独立国である限り、日米地位協定の改定を含む米国との関係の見直しを、団塊の世代の私たちが生きているうちにしていかなければと思う。