ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

映画「A I」を観た

f:id:battenjiiji:20220301224536p:plain

スティーブン・スピルバーグ監督の映画「A I」を観た。この映画はSF映画であり、私たちの未来を描いた作品ということができる。この映画の最後の場面は今から2000年後の西暦4000年代であるが、映画のような終末は想像したくないと思うが、そのような終末を迎えることがあるもしれないと考えさせられる結末であった。約500万年前に人類が誕生して以来、様々な歴史を創りながら私たちは現代を築いてきたが、これから2000年後どこに向かっていくのか、改めて考える機会を与えてくれた映画であった。


この映画はのあらすじを簡単に言うと
この映画の時代背景は、地球温暖化のため低い土地は海中に没してしまい、平地の多くが失われてしまった近未来のことである。多くの居住環境が失われたため妊娠、出産に厳しい制限がしかれ、その労働力不足を補うために、人間に代わりロボットが活躍している近未来のアメリカが舞台である。ロボット製造会社に勤めるヘンリーとその妻モニカの間には一人息子マーティンがいたが、不治の病にかかって死を間近にしていた。夫婦は息子の死を受け入れるよりは息子を冷凍保存して眠らせ、未来の医療に委ねる選択をした。そして冷凍保存して五年が過ぎたが、その間医療技術の進歩は見られず、時間だけが経過していった。一縷の望みを持って冷凍保存をしてきたが、失望のあまり妻のモニカには精神的乱調が見られるようになった。それを心配した夫のヘンリーは、会社が製造した最新の人型ロボットを息子の代わりに迎えるよう妻のモニカを説得した。モニカは最初反対したが、デヴィッドという人型ロボットを息子として迎え入れた。この最新の人型ロボットであるデヴィッドは、学習しながら心を感じることができるロボットである。モニカはデヴィッドを迎え、我が子のように愛おしく育てていった。そんな中、医療技術の進歩によりマーティンが回復した。ヘンリー夫妻はマーティンとデヴィッドの二人の子供を持つ4人家族で生活を始めることになったが、マーティンとデヴィッドの二人はモニカお母さんの取り合いでさまざまなトラブルを起こすようになった。このトラブルが発展して生命の危険に関わることが起きたため、デヴィッドは森に捨てられることとなった。それからデヴィッドはお母さんを求めてさまざまな旅をすることになる。深い眠りの後、2000年後の未来の人によって再起動されたデヴィッドは、「お母さんに会いたい」という希望を述べる。未来人によってその願いは実現するが予想し難い結末が待っていた。

SF物としてはとても面白い作品である。面白いだけでなく、実際に未来に起こり得ることである。ロボットは人間みたいに自分で考えて行動しない。ロボットは指示を受けて行動する。ロボットは指示に従ってのみ行動するからロボットであるという固定観念がある。しかし、ロボットが進歩して、人間の知能を超え、学習して自分で状況判断して行動するようになる。しかも自分の意思で行動する。しかも夢を描くこともできれば、その夢に向かって行動することもできるようにロボットはなっていく。現在の科学の進歩を考えれば、そう遠くない時代に、そのようなロボットが誕生するような気がする。人間とロボットの関係は常に人間が主でロボットは従である。人間にとってロボットは仲間でもあるが、家来であり、手下であり、奴隷でもある。その逆は想像もできないが、ロボットの知能が進歩してロボットが心を持ち出したらどのようになるのだろうか。このままでは済まない感じがする。この映画を見て一番驚いたことは、2000年後、寝ているデヴィッドを再起動した未来人は人間でなく、ロボットであった。人間は絶滅してしまい、すでに地球上に人間はいなかった。デヴィッドは人間と直接接した貴重なロボットということで再起動されたようだ。紀元4000年代はそういう時代なのかもしれない。

 

ロボット映画はアメリカのみならず世界でたくさん作られているが、世界の映画人にとって、ロボット映画の原形としてバイブルみたいに評価されているのは「鉄腕アトム」であるらしい。今更ながら、手塚治虫さんの想像力に驚嘆する。その鉄腕アトムは人間とロボットの対立の時に、ロボット側にもつかず、人間側にもつかず、いつも中間にあって仲裁する役回りであった。アトムはロボット側から嫌悪され、人間側からも嫌悪される立場であったように思う。手塚治虫さんは紀元4000年代のことまで思いを馳せて作品を創っていたのだと思う。鉄腕アトムはロボット界のバイブルであるという世界中の評価が納得できる。「A I」は紀元4000年代の人類を考える機会になった。