ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

長崎西国三十三観音霊場巡り その3

 

S点をスタートして矢印方向に進み赤点までのコース。距離12.1km、最高高度136m、最低高度7m、総上昇高度462m、天気曇りのち晴れ、温度21度、湿度70%

長崎西国三十三観音霊場巡りの3回目が行われた。三回目はいよいよ最終回である。今日の集合場所は市民会館前広場である。定刻に今日の参加者5名が集合。出発に先立ち、リーダーのOさんより注意を受ける。「三十三観音巡りは今回が結願です。お遍路はお大師様のゆかりの地を巡り、お大師さまの功徳をいただこうとするものです。お遍路の旅は発心、修行、菩提、涅槃の過程を経て結願に至ります。最終回の今回は実りあるものにするため、さらに厳しく取り組んでいきたいと思います。例えば霊場へ入る際は門前で心を込めてお世話になりますと一礼する。左足で一歩を踏み出し、左側を通って山門に入るなど決め事を正しく守ってください。また今回の読経は合掌礼拝の後、懺悔、十善戒、開経偈、それから般若心経の流れで行います。今回の遍路も長い道程で難業苦行があるかもしれません。そういう苦行の中にお大師様の御加護を頂き、仏さまにお会いすることができます。お遍路の旅は自分の身体全部を使って修行する信仰です。事故がないよう注意しながら、満願成就できるよう取り組んでください」

 

今日、最初に行く霊場は20番札所の三宝寺である。注意されたように山門の前で立ち止まり、お願いしますと一礼して山門をくぐる。山門に入る際は左側を通り、左足で入る。20番札所は千手観音菩薩が祀られている。本堂の前に整列して合掌礼拝して読経する。

 

三宝寺を出て、10分ほど進むと21番札所の伊良林太子堂へ着く。ここは聖観音菩薩が祀られている。お堂の周りはきれいに掃き清められている。整列して読経する。

 

22番、23番は偏照院へ移動と書かれているので省略して、24番札所の片渕町観音堂へ行く。お堂のガラス戸は鍵がかけられていて開かない。ガラス戸をのぞくと、陶器でできたような観音様が祀られている。お堂の前で読経する。

 

25番札所も偏照院へ移動と書かれているので省略。26番札所の西山町薬師堂へいく。ここは民家の庭先みたいな場所にたくさんの仏像と共に聖観音菩薩が祀られている。ここは薬師寺教会という名前でも呼ばれているようだ。整列して読経する。

 

26番札所の西山町薬師堂を出て、次の27番札所の室生寺へ行く。高低差100mを一気に上っていく。ダラダラ坂がいつまでも続く。みんなのおしゃべりがなくなった。みんなきついのだろう。私も黙したまま、皆んなに遅れないようについて行く。そしてとうとう室生寺に到着。境内にお祀りしてある如意輪観音をお参りして読経する。お参りして帰ろうとしていたら、お寺の女性の方がどうぞ召し上がってくださいと言ってお饅頭とポンカンを下さった。リーダーが有難うございますと受け取って、私たちに配ってくれた。リーダーが言うには、これが遍路のお接待です。お接待は断ってはいけません。感謝の心で有難く受け取って下さいという説明があった。お接待の初体験であった。

次に28番札所と29番札所になっている戦没者慰霊塔に行く。そこへ行くには、海抜120mの高台にある室生寺から海抜50mまで下っていくが、そこからまた海抜140mの山を越えていかなければならない。下りは楽だが、上りは苦しくなり音を上げそうになる。楽あれば苦あり、苦あれば楽ありこれが人生と思ってみんなについていく。28番札所の聖観音菩薩、29番札所の馬頭観音菩薩は戦没者慰霊塔の中に祀られてあった。慰霊塔の前に整列して読経する。

 

28番、29番札所をお詣りしたら時刻は13時を過ぎている。適当なところでお昼をとることになった。景色は左手に長崎港と市街地が広がっている。この景色を眺めながらお昼をとりたいと思い広場を探すが見当たらない。通りすがりの方から何を探していますかと声をかけられたので、お昼をとる場所を探していますと言うと、この下に五社公園があります。そこは藤棚がありベンチもありますと教えてもらい公園で昼食をとることにした。五社公園の一角には原爆殉難之碑が建立されている。「原爆の日、多くの人がこの公園に逃れてきたが、夕方にはそのほとんどの人が息絶えていた。この地で消えた多くの御魂を鎮めるとともに長崎が最後の被爆地であることを願い、この碑を建立する」と説明文にあった。

お昼休憩の後、観音様巡りを再開する。次は三十番札所の御船蔵町地蔵堂へ行く。御船蔵町地蔵堂は御船蔵町中集会所の中にあり、その地蔵堂の中に地蔵尊と共に三十番札所の千手観音菩薩はお祀りされていた。昔、この御船蔵町の近くに刑場があり、御船蔵町はその首級三千三百を埋めた首塚があった処で、それらの諸霊を慰めるため、元禄十年(1698)、御船蔵地蔵尊が建てられたと記されてある。整列して読経する。

 

三十一番、三十二番は移動のため省略して、最期の三十三番札所である穴弘法奥の院霊泉寺へ行く。ここまで急な上りが何回もあったが、三十三番札所に行くのが今日一番の難所ですと説明を受けて出発する。確かに今日一番の難所と言われるだけあって、急な上り坂がどこまでも続く。途中、リーダーがみんなの様子を見て小休止を決めた。休憩後、最後の力を振り絞るようにして霊泉寺へ到着。三十三番札所の十一面観音菩薩の前に整列して読経する。

 

いつの間にか雨雲は去り、青空が広がっている。そして花の香りに気づき近寄るとハゴロモジャスミンが咲き誇っていた。三十三観音霊場巡りを結願した。三十三観音霊場巡りはお遍路である。今回の行で同行二人の心を理解できただろうか?行中の辛いことや苦しいことをお大師様の「おはからい」と感じ、有難く受け入れることができただろうか?我先の考えは捨て、お先にどうぞの心を持つことができただろうか?遍路心得を読むと道は遠いと感じる。また、遍路道を歩きたいと思う。