ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「属国民主主義論」を読む その1

内田樹氏と臼井聡氏の共著である「属国民主主義論」を読んだ
この本の中で、お二人は、「日本国の制度が国民主権であろうがなかろうが、民主主義などありません。なぜなら、日本はアメリカの属国だからです。属国であるということは外面はどうであれ実質的には主権がないということだからです」と語っている。そのような中で、現状を分析し、一体私たちはどうすればよいのか、何から始めればよいのかなどについて    知恵を出し合っているというのが本書の中身であった。参考になることが多い対談であった。
対談の一部を引用する
「2015年は、安保法案問題で日本中が揺れた年でした。安倍晋三政権は2014年7月、閣議決定によって憲法解釈を変更し、2015年にはこれを法案化した。「平和安全法制整備法」「国際平和支援法」という、いわゆる安保関連二法案を国会に提出した。審議中に行われた衆議院憲法審査会で、参考人として招致された長谷部恭男、小林節、笹田栄司の3人の憲法学者がいずれも「違憲」と断言し、日本中で反対の声が湧き上がる中、9月、国会での二法案採決を強行した。これにより政府は、「たとえ日本が攻撃されていなくとも、同盟関係にあるアメリカが攻撃された場合には武力をもって反撃する」という、集団的自衛権を公に容認したのです。これらの法案に対しては、「安全保障関連法に反対する学者の会」の1万4000人の学者、研究者が反対の署名を寄せており、日本の憲法学者の98%が違憲と考えています。
実はこうした安倍政権の動きは、安倍政権発足前の2012年8月に、アメリカの元国務副長官リチャード・アーミテージと元国防次官補ジョセフ・ナイが連名で発表した、いわゆる「アーミテージ・ナイレポート(アジアの安定のための日米同盟)」の内容を懸命に汲み取ったものでした。
このレポートは、「日本は世界の中の一流国でありたいのか、それとも二流国でいいのか。一流国でありたいならば、国際社会で相応の役割を果たさねばならない」として、日本に対し「時代遅れの抑制を解消し、アジア・太平洋地域におけるアメリカの防衛戦略を補完すること」を要求しました。安倍政権はこのアーミテージ・ナイレポートの要求に忠実に従い、そこに書かれた内容通りに TPP 交渉に参加を決め、憲法解釈の変更に踏み切ったのです。憲法違反が指摘され、国民の多くが反対してる安保法案に対して、国民の賛否を取ることもなく強行採決に走るその姿勢を見ると、まさにアメリカの言いなりであり、「属国化はますます加速している」と改めて思わずにはいられません。それとともに、戦争が終わって75年も経っているのに、なぜ今も日本国内にアメリカ軍の基地があるのか。そのことの原理的な当否から問わなければならないと思います。

在日米軍基地が存在している理由は地政学的なものではありません。在日米軍基地の存在は日米間の外交上の象徴的な意味を表しています。米軍基地がそこにあって、日本領土のど真ん中にオフリミットの土地がある。日本上空に米軍専用のオフリミットの空域が存在する。そのことが、日本国家のさらに上位に日本を支配している治外法権的な存在があるということを語っているのです。「日本は属国で、アメリカはその宗主国である」という事実を無言のうちに繰り返し誇示しているのです。米軍基地はその事実を暗黙のメッセージとして75年間、日常的に日本人に伝え続け、刷り込むための装置として存在しているのだと思います。米軍住宅の特徴は、その空間の使い方が完全に「アメリカ流」になっています。  広い庭、広い道路、芝生の植えられた広々とした空間にポツンポツンといった感じで家が建っている。フェンスの外側である日本国内側では、もちろん家がギュウギュウとひしめくように建っています。この景色を見てなお、日米同盟は両国の心からの信頼と友情に基づくものだ、という建前を信じる者はバカ者としか言いようがありません。日本はアメリカにとって、先の戦争の戦利品なんだとつくづく感じざるを得ません。

国会で、山本太郎議員が、安倍政権の目玉政策はアーミテージレポートの引き写しではないかと追及したことがあります。その指摘は全く正しいわけですけれども、それを聞いた時の他の議員たちの反応が象徴的でした。「それを言ったらおしまいだろう」とでもいうような雰囲気で、妙にシラケたものでした。「そんなことぐらい、国会議員ならみんな知っている。知っているけどそれを口に出さないことで、俺たちは国会議員ごっこ、政治家ごっこができるんじゃないか。それなのに、お前は何を野暮なことを言っているんだ」という反応で、日本はアメリカの属国であるという状況を完全に容認してしまっている。『こいつらが日本国民の代表なのかと思ったら猛烈に腹が立ってきました」とお二人は著書の中で語っていた。

 

属国民主主義論を読んで、現在の日本は主権を持つ独立国ではないと思った。アメリカの植民地だと思う。このままでいいのだろうかと疑問に思うが、多くの政治家は日本が属国であることを当たり前のこととして認識しており、日本の政治は国民のための政治をする前に、まずアメリカの意向に沿って政治をすることが当然と考えているようだ。政治家にとっては、この問題を無視すること、黙認することが間違いなく個人的利益に繋がるようだ。属国問題は簡単に解決できる問題ではないが、だからといってこのまま何も手をつけず、放置していい問題ではない。これは日本の主権の問題である。日本人は、本当の独立国の国民を目指すのか、属国の国民として奴隷のように生きるのか、いつの日か決断を求められる日が来る予感がする。