ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」を読む その2

矢部宏治氏の著書の続きを読む。
「第二次大戦の敗北によって、日本は世界の最底辺国に転落した。しかし、そうした状況の中、戦後世界の覇者となったアメリカに対し、徹底した軍事・外交面での従属路線をとることで、第二次大戦の敗戦国(最底辺国)から、冷戦時代における戦勝国(世界第二位の経済大国)へと駆け上がっていった。これが、敗戦後、昭和後期の日本人が駆け抜けた道であった。
日本は、第二次大戦の敗北によって食べるものもない時代から豊かな社会を目指して、脇目も振らずにがむしゃたらに働き、世界有数の経済大国と言われるまでに急成長したが、戦後の国際社会には、今もとんでもない差別が残されている。それが敗戦国である日本やドイツを対象とするいわゆる国連憲章の『敵国条項』(国連憲章53条、107条)である。この条項のもと、戦後日本は国際法上最も下位の位置から、再スタートを切ることになった。

国連憲章は言うまでもなく戦後の国際社会の基礎となる取り決めである。その根拠は国連憲章103条に書かれてある。『国際連合加盟国において、この国連憲章に基づく義務と、他のいずれかの国際協定に基づく義務とが抵触するときは、この国連憲章に基づく義務が優先する』

現在200近い国が国連に加盟していて、それらの国が結んだあらゆる国際協定の中で、国連憲章が最優先される。つまり国連憲章国際法の最上位に位置するもので、国際法として最大の武器となるものである。

国連憲章の大きな特色は、『平和的手段による国際紛争の解決』である。その理念を示す条文である国連憲章2条3項及び4項は次のようになっている。『3項 すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって解決しなければならない、 4項 全ての加盟国は、武力による威嚇又は武力の行使を慎まなければならない』
したがって、国連の加盟国は、自衛の場合を除いて、単独で軍事行動をとってはならないとされている。軍事行動が許されるのは『安全保障理事会の許可があったとき』『地域の安全保障機構のメンバーとして行う』場合だけである。しかし、同時に国連憲章53条1項において、『敵国』についてはその例外だとしている。つまり、第二次大戦の敗戦国である日本やドイツが、再び軍国主義やナチズムを復活させ、侵略政策を開始するようなことがあったら、安全保障理事会の許可なしに攻撃して良いとされている。

次の国連憲章107条も53条と同じく敵国条項である。
『第107条 この検証のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国(例えば日本)に関する行動で、その行動について責任を有する政府(例えばアメリカ政府)がこの戦争の結果として取り、または許可したものを無効にし、又は排除するものではない』

つまり国連憲章の全ての条文は、戦勝国が敵国(敗戦国)に対して行なった戦後処理の問題については、いっさい適用されないということが書かれている。

国連憲章は『武力行使の原則的禁止』や『主権平等』『民族自決』『人権の尊重』など、様々な理想主義的条項を定めている。ところが、この国連憲章107条が述べているのは、『敵国』に対する戦後処理については、『武力行使の原則的禁止』『主権平等』『民族自決』『人権の尊重』などの条項は全て適用されない、適用除外になるということである。そしてその『敵国に対する戦後処理』の代表が平和条約である。言うまでもなく平和条約とは、交戦国が正式に戦争を終わらせるための包括的な取り決めである。だから、サンフランシスコ平和条約の第6条に基づき日本に駐留する米軍や、第3条に基づいて支配された沖縄に関しては、いくらその実態が『民族自決の原則』や『人権の尊重』に反していても、国際法には違反しないということになる。」

なぜ沖縄が21世紀の今になっても、まだ米軍の軍事占領状態にあるのか。また本土でも、なぜ首都圏の上空全体が米軍に支配されていて、日本の飛行機はそこを許可なく飛ぶことはできないなどといった、信じられない状態が続いているのかということが理解できた。と同時に深いため息が漏れてしまった。日本において「民族自決の原則」や「人権の尊重」が守れていないのは日米関係の問題と考えていたが、世界各国が日本の現状を認めているということである。アメリカだけでなく世界中の国々に日本の立場を理解してもらわないとこの植民地状態から抜け出せない。世界中の全ての国々に理解を求めなければならない。そう考えると解決策が見通せず、この問題を放り出したくなるが、植民地からの脱却、敵国条項からの脱却は、どんなに困難な道であろうと、決して諦めることなく愚直に取り組んでいくべき日本人の課題であると思った。