ばってん爺じのブログ

年を重ねても、尚好奇心旺盛な長崎の爺じの雑感日記。長崎の話題を始め、見た事、感じた事、感動した事などを発信。ばってん爺じのばってんはバツイチではなく長崎の方言

「孤独のすすめ」を読む


この本は、今から5年前の2017年7月に出版された本である。図書館でこの本を見つけ、サブタイトルに「人生後半の生き方」とあるのを見て、現在、老を迎えている私は興味を感じ読むことにした。

五木氏は著書の中で、孤独について次のように述べていた。「老いにさしかかるにつれ、孤独を恐れる人が少なくありません。しかし、私自身は、もともと孤独に偏する性分だという面もありますが、歳を重ねれば重ねるほど、人間は孤独だからこそ豊かに生きられると実感する気持ちが強くなってきました。孤独な生活の友となるのが、例えば本です。読書とは、著者と一対一で対話するような行為です。誰にも邪魔されず、古今東西のあらゆる人と対話ができる。孤独な生活の中で、これほど心強い友はありません。歳を重ねるごとに孤独の素晴らしさを知る。孤立を恐れず、孤独を楽しむのは、人生後半のすごく充実した生き方の一つだと思うのです」と孤独の楽しみを語っていた。

前半部分は違和感なく読み進めたが、途中から、文中に出てきた“ある言葉”を切っ掛けに“居心地の悪さ”が徐々に私の心に沈澱していった。その言葉は「嫌老」である。
五木氏は「嫌老」について次のように語っていた「八十過ぎまで生きてきて、少々気になり始めたことがあります。それは、今まであまり感じたことがなかった、ちょっとした、しかし拭いがたい、社会に対する『違和感』のようなものを覚えるようになったのです。そんなある日、私の脳裏に、ふいに一つの言葉が浮かびました。『嫌老』です。『嫌韓』ならぬ『嫌老』です。私は、思わず膝を打ってうなづきました。『違和感』の正体を突き止めた気がしたからです。同時に、あらためてその言葉を見つめ直してみる時、『日本も、ついにここまで来たか』という現実に、ショックを禁じ得ないのも事実です。『嫌老』というのは『嫌韓』や『嫌中』と同じく、とても尖った言葉です。あまりにあからさまで、身も蓋もない表現です。しかし、それを投げかける方も、『そうかもしれないな』と甘んじて受け入れざるを得ないような社会に、私たちは暮らしていることも事実です。もちろん、『若い世代が、老人を疎ましく思う気持ち』は昔からありました。しかし世の中に漂う嫌老感は、昔とは明らかに異質のものであるように、私は感じられてなりません。『嫌老感』が社会に広がる背景には、高齢者の年金や医療・介護費がこの国の財政を圧迫していること。さらに、その財源を支える勤労世代にはその恩恵を受けられる保証がなく、『必死に働いてなぜ高齢者ばかりいい目を見るのか』という不満が高まっていることがあるのではと思います。こうした状況はもはや、世代間格差なんて生ぬるいものではなく、階級闘争が始まりつつあるのかもしれない」と指摘している。

さらに、「嫌老」がこの先ヘイトスピーチエスカレートして行く危険がないではないと次のように問うている。
「働かない人間たちが、優雅に生活を楽しんでいるじゃないか」「なぜ、生活の苦しい自分たちが、高齢者たちのために身銭を切らなければいけないのか」「あいつらは社会の敵だ、排除しろ!」そんな感情の爆発が起こる客観的な条件が今の日本には揃っています。このままいけば、「嫌悪」が「憎悪」にまで昇り詰めていくのではないか。そうなった時に、この日本社会は、どのような反応を見せるのか

そして、五木氏はその前触れにも言及している
「社会の変動は、何の前触れもなく、突然起こるものではありません。じっと気をつけて日本社会を眺めてみると、既にそこここに本格的な嫌老社会の前兆現象を見ることができます。2015年4月、首相官邸の屋上で、無人機ドローンが発見されるという事件が起きました。40代の男性が逮捕されたのですが、彼がネット上で自筆の漫画を公開していました。ネットの社会では面白いとかなり話題になっていたそうです。
「ハローワーカー」というその漫画に描き出されているのは、タイトルからも分かる通り、若者の失業者が主人公のストーリーです。そこには、究極の嫌老社会、世代間の熾烈な階級闘争が展開されています。少子高齢化に悩む日本で、20XX年に「老人駆除法」が施行されます。厚生労働省は、失業者の若者を雇って「増え過ぎた」高齢者対策として「老人駆除部隊」を結成し、「老人狩り」に乗り出すのです。報酬は歩合制で、一人「駆除」するごとに1万円。そうやって、あらゆる手段を使って高齢者を「間引き」、浮いた年金や医療費は、出産や育児、教育費などに振り向けようと言うのです。この政府の施策は奏功し、「老人駆除」は順調に進みました。その結果、出産祝い金が500万円まで引き上げられた日本の出生率は、戦後最高を記録。第三次ベビーブームに沸き立つという全編、グロテスクなユーモアがちりばめられたストーリーです。

現実に「老人駆除」という表現が登場したということは、そこに何らかの「社会的背景」がある、ということに他なりません。たくさんの人々がこの作品に「面白さ」を感じるのも、そこに理由があるのでしょう。もしかするとそれは、「老人階級を何とかしてもらいたい」という、大衆の隠された願望なのかもしれません。そのことをこの漫画はあぶり出し、その先に来るものを、意識せずに予感しているのではないか、というのは、私の妄想でしょうか。」と語っていた。

 

五木氏は、この「孤独のすすめ」を5年前に出版したが、実は「嫌老」と言う言葉は7年前に出版された「嫌老社会を超えて」と言う書物で使われた言葉のようだ。7年前から社会では、高齢者に対して「嫌老」と言う言葉が使われていたようだ。また、「老人駆除」という言葉が漫画の世界では使われているのも初めて知った。そうとは知らず、のんきに私は今日まで老人生活を過ごしてきたことになる。「嫌老」という言葉は好きにはなれない。日本社会に老人に対して嫌悪と憎悪が広がっていくことは避けなければと思うが、解決策は見出せない。おりしも映画「プラン75」が上映されている。「プラン75」は高齢者に75歳から生死の選択権を与えるという映画である。日本社会は、老人をどのように取り扱うべきか悩んでいるようだ。老人という当事者の立場から「プラン75」を見たいと思う。